オンライン講義の難しさ

画像: 世界最古の大学:ボローニャ大学

2020.04.18

ライフ・ソーシャル

オンライン講義の難しさ

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/こういうご時世だし、大学の講義なんてネット中継でもいいだろう、と思うかもしれない。だが、機材よりもっと根本的な教育上の問題があるのだ。それは、古代以来、なぜ大学というものあるのか、その存在意義の根幹に関わる。/

このような講義をオンラインにできるか。かなり難しいと思う。実際、これまでの大学ですら、この「一般教養」、中等教育から高等教育への切り替えで、多くの大学生が脱落し中退している。高校までと同じ感覚で、ただ漫然と大学の「一般教養」の講義に出ていただけでは、研究する意義が理解できず、本来の高等教育である、みずから研究能力を身につけるゼミや卒論に滑り込めないのだ。このため、入学試験より卒業試験が厳格な世界の大学と違って、少なからぬ日本の大学では、ガキの感想文のようなものでも、とりあえずなにか書いたモノを出せば大卒、というような現実がまかり通ってきた。

古来、世界中で若者たちを集めた「大学」が創られてきた。人間、とくに若者は、そこで、精神の骨格、「人格」を形成した。なんのために学び、なんのために働くか、そして、なにを生きてなしとげるか、教員たちの指導によるだけでなく、学生相互に切磋琢磨して、新しい時代を模索してきた。それが、学生はバラバラ、教員たちは画面の中でかってに話しているだけ、というので、身につくのだろうか。

世間も、この機会に、いろいろな物事がリストラされる。大学も、その荒波に洗われるだろう。社会全体の貧困化とともに、名目ばかりの「大卒」の肩書を量産してきただけのマスプロ高等教育は淘汰され、若者の「人格」形成の場としての本来の大学が少数精鋭で再生してくるだろう。だが、それまでの移行期では、大きな混乱があるだろう。

たとえ明日、世界が滅びるとしても、私は今日、リンゴの木を植える、と、ルターは言った。また、革命と疫病が荒れ狂う時代にあって閉鎖された大学からの避難を余儀なくされたニュートンは、疎開の地にあってなおも研究を続け、そのリンゴの木から万有引力を発見した。「大学」の本質は、キャンパスにあるのでも、オンラインにあるのでもない。リンゴの木だ。学生が学ぶ意欲さえ持てば、そこがリンゴの木の下。上を見上げれば、学ぶべき先人たちの偉業は多い。時間と余裕のあるあいだに、すべきことをしよう。肩書だけでは勝負にならない、人間の本質、「人格」が問われる試練が、これからやってくるのだから。

すみおかてるあき:大阪芸術大学哲学教授/美術博士(東京藝術大学)、東京大学卒、同大学院修了。マインツ大学客員教授などを経て現職。専門は哲学、メディア学。みずからも作曲、小説、デザインなどを手がける。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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