幼少期から経営者になりたかったという代表の井上さん。一度はニューヨークの大手会計事務所に入ったものの、帰国後に起業し、まったくの素人からフラワービジネスに参入した。そして、ゼロから「Aoyama Flower Market(青山フラワーマーケット)」を全国90店舗以上に展開するブランドに育て上げた。 青山に本店を置き、花ビジネスのトレンド発信地となっている人気の花屋さんは、どんなスタートを切り、現在に至っているのか、タケ小山が迫る。
最初はサイドビジネスとして、無店舗で花屋をオープン
井上さんは大学卒業後、一度はニューヨークの大手会計事務所に就職したものの、仕事を始めて一年であっさり退職、帰国してしまった。
「僕は右脳的で、感覚で動く方なんですよ。会計は究極の左脳的な仕事ですから、そもそも職業の選択を間違っていた、と後で気づきました。無理に働いていても息苦しいし、これは人生の無駄遣いだなと思ってやめてしまいました」
帰国後、「パーク・コーポレーション」を立ち上げる。起業当初は花ではなく、イベントの仕事をしていた。ちなみに社名は、会計事務所があったニューヨークの目貫通り「パークアベニュー」にいつかオフィスを構えるぞという意気込みと、好きだったセントラルパークからだそうだ。
それはそうと、イベントがどう花屋に結び付くのか?タケはそこを率直に聞いてみた。
「初めは打算的でした。イベント事業は現金収入を得るまでのスパンが長くて、キャッシュが回るサイドビジネスが必要になる。そこでなにか日銭部門を作らなければと思いました。そんなとき、たまたま花市場に行ってみたら、花はすごく原価が安い。町で1000円のバラが市場だと150円くらいで売っている。『僕でも買おうと思うんだから、商売になりそうだな』と試しに赤いバラを50本ほど仕入れ、知人に買ってもらいました。『こんなに安くてちゃんと咲くのか?』と疑われるくらいの感じで、花の仕事が始まりました」
しかし、井上さんの花は新鮮で持ちがよく安いと評判を呼び、商売は順調。仕入れ値の倍で売っても儲けが出る。しばらくは無店舗の注文販売のような形でやっていたが、注文が増え、対応しきれなくなったので青山に花屋の1号店をオープンした。
スモールスタートだったが、井上社長が自分で買い付ける花は市場直送で良質・ほぼ原価で格安という評判が広がり、青山で働く花好きの女性や主婦に飛ぶように売れた。
「常連さんは、仕入れから戻る時間に店の前で待っていらっしゃるんですよ、店舗に並べる前に売れちゃう。青山通りで行商をしてみようと、チューリップを10本1000円にして台車で運んでいくと、数百メートルも歩く内に売り切れてしまう。あるだけ完売です。面白いくらいに売れました」
大胆にコストカット、自宅用の花を格安で
参入当時、日本の花ビジネスは結婚式場などの冠婚葬祭や法人需要・ギフトが中心だった。花は生ものなのでロスが出る、それに家賃や人件費などの経費が上乗せするから高くなる。
井上さんは、それなら初めからロスがでない、コストがかからない前提でビジネスを組み立てたら安く売れるはずだと考えた。
「例えば、うちでは『10本で〇〇〇円』というように、自宅用として原価に近い値段で販売していました。裸のバラも、ラッピングされたものも同額というのに違和感があったので、花代とは別にラッピングやブーケにする場合は、手数料をいただくことにしたんです」
安くて新鮮な花には需要がある。求めているお客さんが見えていた。無駄を省き、価格を抑えることで、個人消費者向けで、しかも自宅用の需要をもっと拡大できるはず、という狙いは大当たりした。
店舗を青山に構えたことで売る花にもセンスが要求され、珍しい色や形の花は評判がよいので、面白いと思えば、玄人が買わないような花も積極的に買い付けた。買い付けには、井上さんが自ら花市場に通っていたそうだ。
「ある日、市場にすごく安く『麦』を売っていたんです。昔からの花屋さんの評判は良くなかったのですが、仕入れ値が安く済むし、バラに合わせたらいい雰囲気が出て面白いと思った。そのうち『売れるぞ』となって皆さんが買いだすと値段があがりますよね? そうしたら別のものを買うんですよ。ド素人だったから固定概念に縛られず自分のセンスを信じて勝負をした、それがよかったんですね」
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