“家電量販店”は、80年代から90年代にかけて品揃えと低価格を武器に急成長を遂げ、様々なモノを格安で売る新しいタイプの流通・小売りの形を築き上げた。 その後、国盗り合戦のような業界再編を経て、最近では異業種への参入を模索するなど“家電量販店”は次なる進化が始まっている。 劇的に変化してきた業界。株式会社ビックカメラの宮嶋宏幸社長は、大卒1期生として入社し、荒波を乗り越えながら家電量販店一筋でトップに昇りつめた。そんな宮嶋社長の本音にタケ小山が迫る。
急成長する家電量販業界へ飛び込む
1984年、宮嶋宏幸氏が家電量販店に就職したのは、ちょっと変わった経緯だった。それは、たまたま出会った他大学の就職課の先生に紹介されたというもの。
なんとなく教諭になりたいと考えて大学の英文科に入った宮嶋氏に、その先生は「君の様な男は大手企業に就職しても歯車になるだけ。ベンチャーのような小さな会社で、とにかく3年間は歯をくいしばって頑張ってみろ。苦労するとは思うが3年頑張れば次がみえてくるから」とビックカメラを紹介してくれた。
1978年池袋駅前に創業した『ビックカメラ』に、大卒1期生として採用された宮嶋氏。創業6年目のまだ規模のちいさな会社だったので、商品の値付けから補充、発注などなんでもこなさなければならなかった。ランチをとる暇もなければ、帰宅も遅く寝る時間も無い。そんな日々が続いた。辛くて何度もくじけそうになったが先生の言葉を思い出して頑張った。
とは言え、ビックカメラは急成長していたので、たくさんの客が来店して、充実した毎日でもあった。振り返ってみれば、あの3年間は大変だったが、今があるのはあの時がむしゃらに頑張ったからだと言う。
「3年を過ぎてみると、自分も少しずつ成長してきたんだなと実感できるようになるんです。そして4年目からは早いですね。その先の目標が見えてくるんです」
3年間で培ったものがベースとなって、急成長していけることを実体験したのだと言う。
ビックカメラの創業者、新井隆二氏から受け継いだことは何かとタケ小山が聞いた。
「印象強い店舗つくり、値段へのこだわり。お客様には驚いてもらい、安さに満足してもらう。興味や関心を持ってもらえれば、そのお客様がリピーターになってくれるし、また口コミで宣伝してもらえる」
「ここが安さのビックカメラ」という絶叫のコマーシャル「3割4割は当たり前!」というCMもそのひとつだ。
今までになかったやり方、スタイルで商売することで、お客様に振り向いてもらい、足を向けてもらって、購入してもらう。その繰り返しが、今でもビックカメラのベースの考え方となって脈々と続いているのだ。
“チャンスは自らが切り開く”
若かりし頃の宮嶋社長は店頭販売で優秀な成績をあげていた。実は、小売り販売に目覚めたのは大学時代のアルバイト経験からだと言う。
「宮大工や議員秘書、就職情報誌の営業など様々な分野のアルバイトを経験しました」
その中でたぐいまれなる才能を発揮したのが、大型スーパーでの家電販売。なんと毎日のように冷蔵庫を売り上げていたそうだ。
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