今回の主役は、仕出し弁当の「玉子屋」の2代目の菅原勇一郎社長。京浜東北線・東海道線ユーザーなら蒲田~大森間で黄色く目立つ建物を見たことがあるだろう。文化放送「The News Masters TOKYO」パーソナリティのタケ小山が、「玉子屋」の秘密を聞き出した。
紆余曲折あっての2代目就任
プロ野球選手になりたいと思い、大学でも野球をしていた菅原社長。立教大学の選手として、六大学野球の試合で神宮球場に来ていた時、当時ヤクルトスワローズだった池山選手や広沢選手のバッティングを目の当たりにした。
菅原:
このレベルではプロではできないと思いました。
そこで社長になることを決意。
しかし、実家の玉子屋はその選択肢にはなく、将来的に社長になるとすれば、決算書が読めたり、数字に強くなければと考え、銀行への就職をする。色々な企業を見て自分がどういった会社の社長になりたいかを決めようと思ったのだ。
銀行で一番学んだことは「良い会社とはなんだろう?」という自分なりの問いに答えが出たことだった。
タケ:
どんなところが良い会社でしょうか?
菅原:
良い会社とは規模の大小ではなく、健全経営をしつつも、そこで働く従業員が喜んで、なおかつお客様が満足する会社です。
さらなるステップアップを求め、銀行を辞めた菅原社長。続いて就職したのは、流通マーケティングの小さな会社だった。
行員時代は周りにお金があったため感じなかった「お金を稼ぐことの大変さ」を学び、勉強になったという。一方で、昼食は毎日「玉子屋」のお弁当。
マーケティング業に精を出す側ら「今日のお弁当は美味しい、今日はイマイチ。もっとこうできるんじゃないか?」という気持ちが徐々に芽生えていった。
そんなある時、先代の社長から玉子屋の決算書をみせてもらった。そこからさらに、玉子屋改革への気持ちを一層強めた。
菅原:
継いでもいいかなってなっちゃって。
タケ:
お父様の策にハマっちゃったんですねぇ。
玉子屋に入社して
入社してすぐに当時社長であった先代は「俺よりもすごい息子が戻ってきた。すごい優秀だから俺以上に言うことを聞け!」と社員に紹介。対する菅原社長も…。
菅原:
父親が社長でいるけれど、僕はいずれ社長になるわけだから、温故知新で父親の良い部分と僕のやろうと思っている改革をやるので、ついてきてほしいと言ってスタートしました。
タケ:
社員との見えない壁はありましたか?
菅原:
当然ありました。“血の繋がりだけで入ってきて”、と絶対思われていましたね。一人ひとり、毎晩飲みに行って、数ヶ月かけて話を聞いて、自分のやりたいことを話しました。
ついてきてくれたものの、「面従腹背なのでは」という想いもあり、結果を残すことにも余念がなかった。2年経ったある日の飲み会で「(菅原勇一郎)常務について行きます!」とようやく言ってもらえたという。
玉子屋に入社して改革へ着手した菅原社長が考えたこととは…
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