エステー会長が語る営業のコツ

2017.11.08

経営・マネジメント

エステー会長が語る営業のコツ

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南青山リーダーズ株式会社

「消臭力」「脱臭炭」「消臭ポット」などで知られるエステー株式会社の鈴木喬会長。鈴木会長は1935年の生まれで、収録日現在82歳。しかし会うなり、とても82歳とは思えない頭の回転の速さ、滑舌の明瞭さを我々は目の当たりにした。そんな鈴木会長にタケ小山がこれまでの歩みについて聞いてみた。

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エステー株式会社・鈴木喬会長

家業、そして日本生命で鍛えた営業のコツ

鈴木会長のビジネスの原点。それは家の跡に建てた2畳間くらいのバラックにあった。

鈴木:
元々実家はディスカウントストアのような雑貨屋をやっていて、それが繁盛していました。父親は昔のツテを使って、ちり紙やせっけん、ポマードなど、商品を集めてきて、それを私が売っていました。

そんな幼き頃の鈴木少年をみた、近所のおじさんたちは、彼をかわいそうだと思って買ってくれたそうで、当時からトップセールスマンだったという。家の手伝いをしては商才を磨いたのだ。その一方で、勉学にも励んでいた。

タケ:
大学は一橋大学ですよね?

鈴木会長の兄が置いて行った数学の本。当時はそれに夢中になっており、「戦争がなければ数学者になっていたと思う」と当時を振り返る。一橋大学卒業後に、日本生命に入社。40歳の時、それまで無かった法人営業部門を立ち上げた。

タケ:
営業のコツは?

鈴木:
社員1万人以上のところにターゲットを絞ったんです。さらに、有価証券報告書を10年分調べたり、どんな派閥があるのか等、とにかく調べて、相手より相手のことを知る。調べ上げた上で、“どうしてこうなってるんですか?”と質問をし続ける。そうすると相手は答えるしかないんです。私はあんまり喋らない。

また、巷で言われる営業に関する鉄則にも、鈴木会長はこう指摘する。

鈴木:
“販売は断られてから始まる”ってあるでしょ?それじゃダメ。販売は断られたら終わりなんです。断られないセールスをやらないといかんですよ。

成功体験を捨てろ~エステー改革~

時は遡りバブル真っ只中の1988年、エステーの株価は7500円を記録。当時は、『高田馬場のソニー』と呼ばれ、有頂天になっていたという。しかし…

鈴木:
私が社長に就任した1998年には、株価は360円になったんです。

タケ:
株価が、1/20ですか!?

これに関して、日本新記録じゃないかと思っていた鈴木会長。当時の社内には、「俺の若い頃はこうだ」という成功体験の逆襲があったそうだ。しかし、それは景気が伸び続けた流れに乗っていただけ。業績が悪くなる一方で「しばらくすれば元に戻る。何とかなる」という雰囲気が蔓延していた。それは、バブルがとっくに崩壊した1998年まで続いていたという。

タケ:
最初に社内でとりかかったのはなんですか?

鈴木:
全面否定ですわ。まず、5つあった工場を3つにしたんです。さらに取扱商品が860もあったんです。それを1/3に。860あっても、1人のセールスマンが説明できるわけがないですよ。

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