2017.10.18
サングラスならレイバン、眼鏡なら?『王座がいない分野』で王者になる方法
LEADERS online
南青山リーダーズ株式会社
今回の主役は、株式会社西村プレシジョンの西村昭宏社長。見事V字回復を果たした企業として、文化放送の番組内で紹介するや否や、一時ホームページのアクセスが困難になるほどの反響を得た。薄さ2㎜の老眼鏡「ペーパーグラス」の製作者でもある。 将来的には家業を継ぐつもりでいたものの、福井県・鯖江を離れ、当初は東京のIT企業に身を置いた西村社長。物語はここからスタートする。
父親から「一緒にやってくれ」と誘われる
「福井県の鯖江と言えば、世界的なメガネの産地」というのは、すでに昔の話だという。西村社長が東京にいた2003年当時、鯖江のメガネ産業は、イニシアティブを中国に奪われ、売り上げが減っていった時期でもある。そんな折に、お父様から食事に誘われた。
タケ:
お食事した時に、一緒にやってくれと?
西村:
はい。“ひょっとしたら来年は、会社が無いのかもしれない“と急に言われ。断るわけにはいきませんでした。
西村社長が、一度出た鯖江。戻ってみると、そこに広がっていたのは、活気のない景色だった。以前は、鯖江にメガネ関連の会社が1000社。それが500社に激減していたのだ。
タケ:
一番最初にやったことは?
西村:
このままメガネ業界の中でメガネ業界の仕事をするのでは、大きな回復はないと思いました。物作りはできるので、他の業界の仕事を手伝えないかと思いチャレンジしてみました。
宝は自社のチタン加工技術
タケ:
活路を見出すためにやったのは何でしょう?
西村:
インターネットを使って、新しい仕事を取り、つながるためにホームページを使いだしました。
着目したのは自社のチタンの加工技術。「あらゆる業界で生きる可能性のある金属である」とPRした。その読みは見事的中、医療分野では海外製が当たり前だったインプラントの製造など、今までとは全く違う畑で、全く新しい商品が生まれた。
タケ:
鯖江での反応はどうでした?
西村:
やり始めた当時は、メガネ以外の仕事をすることへの反発がありました。しかし、私は、何か新しい分野や道を作らないと発展しないと思い、何が何でも…と続けていきました。
物作りに携わる企業は、技術を公開することへの抵抗があるのは当たり前。しかし、西村社長には信念があった。お客様の事を考えると、自分たちは、何をできて何を持っているかを公開しないと、お客様も相談できない。だからこそ、情報発信の大事さを唱え続けたのだ。
薄さ2mmの老眼鏡「ペーパーグラス」誕生秘話
ペーパーグラスをかけるタケ小山
タケ:
「ペーパーグラス」、開発のヒントは何だったのですか?
西村:
お客様の声がヒントでした。老眼鏡は、生活必需品。だけど、“持ち運びが煩わしい”、“おしゃれなものが少ない”、“すぐ壊れる”といった要望が多く、満足されていませんでした。
一方の鯖江の職人も老眼鏡に対し「安いもので十分」「安いから鯖江で作るものではない」という想いがあった。老眼鏡が必要な年代になると良いカバンを持ち、良いスーツを着て、良い靴を履く。しかし老眼鏡だけ100円の物。そこで、老眼鏡の価値観を革新できるのではと西村社長は考えた。
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