2017.09.28
「心を固めるな」安部首相も坐禅に訪れる寺院住職が説く処世術 平井正修(ひらい しょうしゅう) 全生庵七世住職
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日本の命運を握る賢慮儒者たちが坐禅を通うことで有名な東京・谷中の臨済宗・全生庵。2017年2月、初めてプレミアムフライデーが実施された日に、安倍晋三首相が作務衣姿で坐禅を組んだことで、広く知られるようになった。平井正修住職は、その全生庵の7代目だ。禅の教えから、ビジネスマンが不安やストレスとどう向き合うべきかまで平井住職に聞いてみた。 (聞き手:仙石実・公認会計士、税理士/校正:株式会社フロア)
山岡鉄舟が建立、幽霊画の所蔵でも有名
(仙石)全生庵の歴史について、簡単に説明していただけますか?
平井 幕末から明治時代に活躍し、剣・禅・書の達人としても知られる山岡鉄舟(1836‐1888)が、1883年に建立しました。幕末から明治維新の時期にかけて亡くなった人々を、官軍、賊軍に分けずに、弔う場所を作りたいという思いからです。鉄舟自身も賊軍でしたから。
いわゆる官軍の人たちは、靖国神社の前身にあたる「招魂社」というところで、国として菩提を弔います。徳川についた人たちはそこには入れないわけです。しかし鉄舟にしてみれば、賊軍と呼ばれた人たちだって日本という国をどうしようかと考えて戦って散っていった人たちですから、彼らの菩提も弔っていくことが、鉄舟の願いだったのです。
(仙石)平井さんが住職になったきっかけはなんですか?
平井 私は7代目です。父は早くに亡くなってしまい、そのときに跡を継ぐ人間がいなかったので私が住職になりました。7代目にして初めての世襲です。物心ついたときからお坊さんの格好をして寺を手伝っていましたから、周りは「跡を継ぐもの」と思っていたでしょう。私は1990年に大学を卒業しました。時代はバブルの絶頂期です。
手を挙げればどんな会社でも入れました。
ある方から「1年でもいいから修行に行け。お前達は時代がよくて戦争もなく苦労が足りていないが、1年修行に行けば少しぐらいの苦労は得られるだろう。それでも『お坊さんになるのはイヤだ』というのであれば、ほかの道に行くのもいいだろう。あtだ、その1年で学んだことはどの道へ行こうとも必ず役に立つ」と言われました。
悩みましたけどそれに従うことにしました。
(仙石)有名な幽霊の絵があるそうですね。
平井 幽霊画は円山応挙、柴田是真、菊池容斎、松本楓湖、伊藤晴雨、河鍋焼斎ら、著名な画家の筆による大変ユニークなものが50幅ほどあります。これらは同時代に落語界の大看板を務め、全生庵にお墓もある三遊亭円朝(1839‐1900)のコレクションでした。遺品管理をしていた方から寄贈されました。
(仙石)ところで、山岡鉄舟先生とはどういう方だったのでしょうか?
平井 勝海舟、高橋泥舟とともに「幕末の三舟」と称されています。「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」と、西郷隆盛をして賞賛させたとされています。ありきたりな言葉ですが「すごい」というか、そこまですべてを一途に突き詰めていくことができる人なのでしょう。
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