主にミドリムシを活用した食品・化粧品の販売やバイオ燃料の研究に取り組むバイオテクノロジー企業、株式会社ユーグレナの出雲充社長。 「ミドリムシが世界を救う」という信念のもと、日々飽くなき挑戦を続ける出雲社長の熱い情熱にタケ小山が迫った。
漫画に感化された少年時代
出雲社長は1980年生まれ。都内随一と言われるベットタウン・多摩ニュータウンで、自然に囲まれながら育つ。どんな子どもだったのだろうか。タケが尋ねると出雲社長は恥ずかしそうにこう答えた。
「小学生のときは漫画をひたすら読んでいた。しかも、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』と『ドラゴンボール』ばかり。ふたつの漫画を繰り返し読んで、今でも何巻にどんなストーリーがあるか覚えている。それぐらいこのふたつの漫画に心酔していた」
“こち亀”と“ドラゴンボール”。少年時代の出雲社長の心を奪ったこのふたつの漫画は、彼のその後の人生にも大きな影響を与える。
「とても大好きで人生の原点にもなっているのが、“こち亀”の85巻にあるザリガニの話。両さん(※主人公の両津勘吉のこと)がザリガニをたくさん釣って一儲けしようというストーリーで、自分も感化されて近所の池にザリガニ釣りに行った。両さんと同じようにスルメで釣ろうとしたが全く釣れない。
フルーツや甘いものを餌にするなど試行錯誤の末、餌をさけるチーズにしたところ、池中のザリガニが寄ってきた。スルメよりもチーズのほうが水中では溶けやすく、ザリガニが好きなうま味成分であるアミノ酸をたくさん含んでいるから、という理由は大人になってからわかったことだが、子ども心に“なんでもいろいろやってみないとわからない”と気付かされた」
国連志望からミドリムシとの出会い
漫画から人生の哲学を学んだ出雲社長。高校生になると海外に行ってみたいと強く思うようになり、国連で働くことを志望。そのために現役で東京大学の文学部へ入学する。
しかし、一度も海外に行ったことがない自分は国連に雇ってもらえないと思い、大学1年生のとき、“ある国”へ赴く。それが出雲社長の人生の大きな転機となる。
「最貧国と言われるバングラデシュに行った。ご飯が食べられない人がたくさんいると思ったが違った。確かにほとんどの人が貧しかったが、バングラデシュにはお米がたくさんあり飢えに苦しんでいる人はいなかった。そのかわり、お米以外に栄養となるものはなにもない。お米に香辛料をつけて食べるだけだから、お腹はいっぱいだけどみんな栄養失調で苦しんでいた」
貧困国・バングラデシュの現状を目の当たりにした出雲社長。帰国後は、どうしたらバングラデシュの人々が救えるか考えるようになる。そんなとき、真っ先にひらめいたのが“ドラゴンボール”に出てくる「あるもの」だった。
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