社会にエリートは必要か?:三分でわかる朱子学

画像: 白鹿洞書院朱熹像

2016.09.18

ライフ・ソーシャル

社会にエリートは必要か?:三分でわかる朱子学

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/一国の下に万民は等しくあるべきであるという新学新法は、特権的なエリートである士大夫(地主商人官僚)の存在を根底から否定するものであった。このため、朱子は、万民が等しく性善であるにしても、現実の人間には優劣があり、そのエリートこそが庶民を治め教えるべきだ、ということを理論づけようとした。/


 いずれにせよ、朱子は、本来は王帝のために書かれた『大学』を、強引に読み替えることによって、だれでも「敬」に徹すれば、気の性(現実の低位や貧窮)に振り回されず、天の理を体現する聖人になることができ、その徳によって周囲の民衆をも感化して、家を興し、国を取り、天下を治めることになる、と説いた。いや、朱子によれば、知のエリートは、現世の五気の性に惑わされている愚かな人々の、ばらばらな世の乱れを、天の陰陽の理に収斂させるための核として、この世にぜひとも必要なのだ。そして、彼はこの自分の考えを、当時、市場に流通し始めた木版印刷で大量に頒布した。


 学べば誰でも聖人となって天下も取れる、などという、自己啓発の嚆矢のような朱子のアイディアは、市場経済で地位が相対的に低下して鬱屈としていた地方の士大夫たち、それどころか科挙にも受からず、経済発展にもかかわらず個人の中小の農家や商人としても芽が出ず、ただ無職貧乏にあえいでいるくせに天下取りの自信と野心だけは全身に煮えくりかえっている、劣等感と自尊心で屈折しまくった連中に爆発的に受け入れられた。しかし、我こそは天の理を体現する者なり、などという思い上がりの化け物みたいなのが、独善的に政治批判、社会批判をしまくるものだから、1195年の慶元党禁で偽学として禁止。それでも、現実の低位や貧窮をかってに無視して(朱子学は、そんな現実を無視するのが正しい、と言ってくれる)、学んだだけで聖人君子を気取れる朱子学の人気は衰えることはなかった。


by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大 阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門 は哲学、メディア文化論。著書に『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソン 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』などがある。)



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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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