平時武士道としての朱子学

画像: 朱熹『四書集注』

2016.07.08

組織・人材

平時武士道としての朱子学

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/とりあえず明日、勝って生き抜くことだけに全力を傾け、その始末は後でどうにか、という戦国時代と違って、天下泰平の江戸時代となると、大名も、後先の遣り繰り、世評の言い訳けを考えておかないことには、収支や名目が合わず、幕府が課する御役目も果たせない。そんな時代の変革期にあって、朱子学を学んだ新世代の武士たちは、武道はともかく、中間管理職として求められるレスペクタビリティの素養があった。/


 もちろん、朱子学は、時代に合った要因があった。第一に、礼治の思想はかろうじて引き継いだものの、ありもしない妄想の黄金古代様式で国家典礼を司る、などという孔子以来の儒学の野望は、あっさりと捨て去ってしまった。実際、当時、科挙に受かっても、国家典礼レベルの外交内政に関わるほどの高級官僚になることは、まずありえず、下級官吏の朱熹にしても、そんなものは、まったく縁の無い話だった。また、第二に、この国家典礼による礼治の思想を、個人の修身居敬の話に矮小化し、最下級の官吏ですら守るべき生活の美徳として一般抽象化してしまった。これによって、禅仏教などに流れていた自己啓発・立身出世を好む連中が、朱子学に飛びつくことになった。そして、第三に、その修身居敬とは、まず天理を学ぶことであり、格物致知である、とした。つまり、実物観察に基づく実証科学こそが、自己啓発の門であり、立身出世の道である、ということになり、地主で商人で官吏も兼ねているような田舎の下級指導層である士大夫たちが、朱子学を実践することにおいて、農業から工業まで、新技術の産業革命を引き起こし、実際に驚異的な経済発展を実現させていった。


 いくら孔子本人が貧乏困窮して多職多能だったとはいえ、実証科学をやりなさい、と弟子たちに教えた、などという文言は『論語』には無い。にもかかわらず、よくもまあ、それこそが孔子の真意だ、などと、朱子は説いたものだ。それを信じる連中も、どうかしている。しかし、朱子学はむちゃくちゃでも、結果はとりあえず大成功だったのだ。そして、どう読んでも、まったくわからないが、とにかくすごいらしい、ということで、朝鮮や日本も、この朱子学とやらを取り込むことになる。



江戸初期の爆発的出版ブーム


 じつは室町時代、日明貿易で大量の朱子学木版本が日本に入ってきた。僧侶は、それぞれの宗派で独特の漢文の返り点読み、つまり、漢文をそのまま訓読みにして日本語に変えてしまう技法を持っていたが、新興の禅宗において、この返り点読みが高度に発達し、洗練された手法となっており、ちょっと寺で学んだことのある者であれば、だれでも朱子学木版本くらい読めてしまったのだ。


 戦国時代、キリシタンや朝廷・幕府は西洋風の金属活字を試みたが、江戸時代に入ると、民間で木版が復興。ここにおいて、返り点やカナ訓読、行割注釈まで細かく書き込んだ版面が可能となり、朱子学本なども、日本で注釈付きで再翻刻され、大量に流布することとなる。京都には72もの出版屋ができ、その他の城下でも著作権もへったくれもなく複製再版され、大阪心斎橋などの本屋、縁日露天商、雑貨行商などによって、古典から艶本、朱子学から御伽草子まで、大量の本が全国に出回るようになる。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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