行動のなかの幸福 ~笑うから幸福なのだ

画像: Yasushi Sakaishi

2015.10.20

ライフ・ソーシャル

行動のなかの幸福 ~笑うから幸福なのだ

村山 昇
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

14歳から大人まで 生きることの根っこをかんがえる『ふだんの哲学』シリーズ 〈第8章|幸福〉第1話

もう少しゆるくとらえて、ある心地よい状態に身をうずめて、安楽でいられることが幸福だとしても、その幸福は、不安定で弱い幸福と言わざるをえない。そうした静的な安楽状態にとどまっている人ほど、いまの幸せがいつまで続くのか不安でたまらない、この幸せをなくすのが怖いと思いはじめる。その心の状態をはたして幸福と言っていいのだろうか。それに対し、意志を持ってなにかに動いている人は、苦しさやしんどさはあるが、その喜びは強くて安定している。

「動けば動くほど安定する。動かなければ不安定になる」───このことをよく知るためには、玩具のコマを思い出してみるとよい。

コマは指やひもを使って回転の力を加えると、軸が立って回りだす。ところがだんだん回転速度が遅くなってくると、軸がぐらつきはじめ、やがてごろんと倒れる。つまり、コマは回転力が強いときほど安定し、回転力が弱いと不安定になる。わたしたちがつかもうとする幸福もこれと似たところがある。心地よい環境にひたって動きを止めている安楽は不安定でもろい。動きのなかで感じている幸福は、安定して頑丈(がんじょう)である。

「幸福だから笑うわけではない。むしろ、笑うから幸福なのだと言いたい」というアランの行動主義的幸福は、いろいろなことに広げて考えることができる。つまり───、

動かずにえられる平和などない。だから、平和を成すのだ。
動かずにえられる自由などない。だから、自由を活かすのだ。
動かずにえられる正義などない。だから、正義を行なうのだ。
動かずにえられる友情などない。だから、友情を築くのだ。
動かずにえられる愛などない。だから、愛するのだ。
動かずにえられる健康などない。だから、健康をつくるのだ。

幸いなことにわたしたちは生まれながらに、平和や自由が当然のように与えられた。が、それらは過去の人たちが苦闘のすえに勝ち取り、整えてくれたものだ。それを受け継ぐわたしたちは、その恩恵にじっとうずくまっているだけでは、平和や自由は崩れてしまうだろう。それはコマが回転力を弱めたときにごろん倒れてしまうように。平和や自由は、ただ観念としてそこにあるのではなく、みなが平和を成すように動く、自由を活かすように動くことで、強く立ち上がってくるものなのだ。


[文:村山 昇/イラスト:サカイシヤスシ]

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村山 昇

キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。

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