言葉は感性の「メッシュ」である

2012.03.15

仕事術

言葉は感性の「メッシュ」である

村山 昇
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

私たちは一人一人同じ景色を見ていても、感じ方はそれぞれに異なる。その差は、持っている言葉の差でもある。

 中学校のときのことだ。詳しくは思い出せないのだが、何か作文の宿題が出されていたと記憶する。冬の夕暮れ。部活を終えての帰り道。田んぼのなかの無舗装の一本道を歩いていくときの、空の色の変化をその作文で描写したいと思っていた。
私は西の空の夕焼け色も素晴らしいと思うが、それ以上に、すでに闇が覆いかぶさりはじめている中天から東にかけての無限のグラデーションで広がっていく紫から紺、黒の世界が好きだ。

 で、その色をうまく表したいのだが、自分の知っている語彙は、紫、紺、黒しかない。しかし、目に映っているのは、紫ではあるが紫ではない。紺といえば紺だが、紺では物足りない。黒なんだけれど、単純に黒と書いては気持ちが落ち着かない。
 多分、紫、紺、黒と書いて作文しても、人には通じるだろうとは思った。しかし、何だか自分の気が済まない。「このモヤモヤした表現欲求を鎮めてくれる言葉はないのか」───そんな思いにかられていたのだろう。私は、翌日、市の図書館に行って「色の事典」を手にしていた。「日本の伝統色」の事典だったと思うが、そこには目くるめく言葉の世界があった。

 私が言いたかったのは、
  二藍(ふたあい)であり、
  瑠璃紺(るりこん)であり、
  鉄紺色(てっこんいろ)であり、
  褐色(かちいろ)であったのだ。

 私はこうした語彙を手にしたとき、胸のつかえが下りたというか、ピンボケ景色を見ていたのが、すっとレンズの焦点が合って画像がシャープに見えたというか、そんな気分だった。

* * * * *

 松居直さんは、児童文学者、絵本編集者、元福音館書店社長として知られる方だ。著書『絵本のよろこび』に次のような素敵なくだりがある。

  まったくの個人的な体験ですが、十歳のころ、ちょうど梅雨のさなかで、学校から帰宅しても外へ出られず、縁側に座ってただぼんやりとガラス戸越しに庭を見るともなしに眺めていました。放心状態でした。外には見えるか見えないかほどの霧雨、小糠雨が降っていました。そのとき背後から不意に母のひとり言が聞こえました。

  「絹漉しの雨やネ」

  母の声にびっくりすると同時に、我にかえった私は「キヌゴシノアメか?」と思いました。私は“絹漉し”という言葉は意識して聴いた覚えがありません。わが家では父親の好みで、豆腐は木綿漉ししか食べません。しかし私には眼の前の雨の降る様と“絹漉し”という言葉がぴたっと結びついて、その言葉が感じとれたのです。

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村山 昇

キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。

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