働く“自由”があることの負荷

2011.12.05

組織・人材

働く“自由”があることの負荷

村山 昇
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

「自由は楽しいものではない。それは選択の責任である。楽しいどころか重荷である」とドラッカーは言った。しかし、その自由という重荷をチャンスに変えることが個人にとっても、組織にとっても、社会にとっても重要なことである。

「あこがれるものは特にない」、「やりたいことがわからない」、「会社の中で与えられた仕事をとりあえずきちんとやるだけ」、「そういえば働く目的って考えたことがない」……。目の前には自由という大海原があるにもかかわらず、漕ぎ出すことができないで浜辺で逡巡している場合が多いのです。

ピーター・ドラッカーは次のように言います───

  「自由は楽しいものではない。
  それは選択の責任である。楽しいどころか重荷である」。
  (『ドラッカー365の金言』)

また、エーリッヒ・フロムもこう指摘しました───

  「(近代人は)個人を束縛していた前個人的社会の絆からは自由になったが、個人的自我の実現、すなわち個人の知的な、感情的な、感覚的な諸能力の表現という積極的な意味における自由は、まだ獲得していない。
  ……かれは自由の重荷から逃れて新しい依存と従属を求めるか、あるいは、人間の独自性と個性にもとづいた積極的な自由の完全な実現に進むかの二者択一に迫られる」。
  (『自由からの逃走』)

学びたいものは何でも学ぶことができる、なりたいものには何でもなることができる(もちろん、そうなる努力と運があってのことですが)───こういう自由な環境下にありながら、なぜ、私たちはそれを敬遠してしまうのでしょうか。

その大きな理由の一つは、自由には危険やら責任やら、判断やらが伴うので、そのために大きなエネルギーを湧かせる必要があるからでしょう。

人は、自由そのものを敬遠しているのではなく、それに付随する危険や責任、判断、エネルギーを湧かすことに対して、面倒がり、怖がっていると考えられます。

選ばなくてすむといった状況のほうが、基本的にラクなのです。確かに、日常生活や仕事生活で、大小のあらゆることに対して、事細かに判断をしなくてはならないとしたら、面倒でたまりません。多くのことが、自動的に制限的に決められて流れていくことも場合により望ましくあります。

しかし、人生に決定的な影響を与える職業選択と、日々の仕事の創造において、その自由を敬遠するのは、一つの怠慢や臆病にほかならないでしょう。

丸山真男は強く言います───

  「アメリカのある社会学者が『自由を祝福することはやさしい。それに比べて自由を擁護することは困難である。しかし自由を擁護することに比べて、自由を市民が日々行使することはさらに困難である』といっておりますが……(中略)。
  自由は置き物のようにそこにあるのではなく、現実の行使によってだけ守られる、いいかえれば日々自由になろうとすることによって、はじめて自由でありうるということなのです。
  その意味では近代社会の自由とか権利とかいうものは、どうやら生活の惰性を好む者、毎日の生活さえ何とか安全に過せたら、物事の判断などは人にあずけてもいいと思っている人、あるいはアームチェアから立ち上がるよりもそれに深々とよりかかっていたい気性の持主などにとっては、はなはだもって荷厄介なしろ物だといえましょう」。
  (『日本の思想』)

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村山 昇

キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。

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