雑誌「BIG ISSUE」の売り子にもらったもの

2010.11.06

ライフ・ソーシャル

雑誌「BIG ISSUE」の売り子にもらったもの

金森 努
有限会社金森マーケティング事務所 取締役

 売り手と買い手の関係は、有形無形の商品と対価の交換において対等である。しかし、顧客満足という考え方が台頭して以来、売り手が弱者となりがちではないか。商品の対価+αのサービスが売り手に求められる。それは基本的な接遇であったり、サプライズでスペシャルなサービスであったりするが、顧客は自らの支払う対価以上の満足を得ることが当然の権利と思いがちだ。筆者はある日、そんなことを思い直させる出来事にであった。

 彼は、何度か不定期に購入しただけの相手のことを覚えていたのだ。そして、覚えていることがさも当然というように話しかけて来たのだ。それ以前に、すれ違いざまに「ここにいるよ」と目で合図を送ってくれていたのだ。

 「顧客の認知」。売り手が顧客を覚えていること。それは商売の基本だ。しかし、不特定多数の顧客を相手に低廉な商品を販売する場合、なかなかに実現は困難だ。それを彼はやってのけている。簡易宿泊所と食料を確保するためには、BIG ISSUEを毎日10~20冊は売らなくてはならないのにだ。

 そこまで考えてから、ふと、「きょうは線路の反対側に来て売ってるからね」と唐突に言った彼の言葉を思い出した。彼は、買い手である筆者も売り手である彼を認知していると信じて「きょうは・・・」と話を切り出したのだ。
売り手が顧客を覚えていたとしても、顧客も売り手を覚えておく義理はない。ましてや、通りすがりに何度か雑誌を買っただけの相手だ。「顧客も自分を覚えていてくれるに違いない」と思うのは、単なる彼の思い込みにすぎない。だが・・・。
 あまたいるBIG ISSUEの売り子。何人もから購入した経験の中で、思い起こしてみれば彼ほど明るく人なつこい表情と話をする人が何人いただろうか。そして、ホームレスとは思えない、前向きな目の輝きを持った人は。そもそも、通り過ぎてからその目が気になって、きびすを返して彼の元へ引き返してきたのだ。
 
 雑誌を手渡し、千円札を受け取って釣り銭を数えながら、彼は言葉を続けた。「年末宝くじが始まったら、また反対側に戻っちゃうからね」。
 その言葉に筆者は「ああ、それじゃあ、今度は気をつけて探してみるよ」とほほえみを返した。

 雑誌「BIG ISSUE」の売り子の彼にもらったもの。
 それは、「形容しがたい満足感」だった。何か、胸が温かくなるような。

 売り手と買い手の関係は、商品と対価の交換において対等である。であれば、「顧客満足」があるなら、「販売者満足」があってもいいのではないか。顧客は自分のことを売り手が認知してくれていることに満足する。顧客も売り手を認知していれば、売り手もうれしくなるはずだ。きっと、有楽町駅の裏表でBIG ISSUEを売る彼には、そんな、売り手と買い手が敬意を払う、「人と人」としての相互信頼感関係ができあがっている顧客が何人かいるのだろう。

 もちろん、低廉な商品であれば、不特定多数の顧客が購入する。同じ商品を扱う売り手や、同じ販売窓口に立つ売り手も何人もがいて、入れ替わることもある。お互いがお互いを必ず覚えていることは困難だ。だが、売り手と買い手がお互いに、相手を認知して対応しようという努力を続けるならば、お互いの心が温かくなるような出来事が起きる確率は高くなるはずだ。

 顧客は自らの支払う対価以上の満足を得ることが当然の権利と思いがちだ。そして顧客の過度な要求にモチベーションが低下した売り手は、顧客への信頼と敬意を忘れ、対応が形骸化する。そんな悪循環を顧客の側から断ち切る努力があってもいいと思った。少なくとも、どんな商品を購入する時にでも、売り手のステキな対応にであった時には、顧客の側も敬意を払い、相手を認知するようにしたいと思った。

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金森 努

有限会社金森マーケティング事務所 取締役

コンサルタントと講師業の二足のわらじを履く立場を活かし、「現場で起きていること」を見抜き、それをわかりやすい「フレームワーク」で読み解いていきます。このサイトでは、顧客者視点のマーケティングを軸足に、世の中の様々な事象を切り取りるコラムを執筆していきます。

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