「能動・主体の人」 vs 「受動・反応の人」

2010.10.05

仕事術

「能動・主体の人」 vs 「受動・反応の人」

村山 昇
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

「自分が変われば、環境が変わる」「環境が変わんなきゃ、自分は変われない」―――この2つはどちらも真実だ。前者に強く意識を置くのは「能動・主体の人」である。一方、後者を強く感じる人は「受動・反応の人」である。

 先日、いまだ就職先が決まっていない大学4年生たちに会う機会があった。依然、ネットで求人情報を探し回る日々なのだが、新案件はほとんど出てこず、宙ぶらりんの状態が続いているという。
 私はそうした彼らに対し、おおいに励ましもし、具体的なアドバイスもするのだが、最終的には「自分自身が力を湧かせて勝ち取るしかないんだよ」と言うほかない。だが彼らの心には「不景気・就職氷河期という大きな社会情勢の中にあって、一個人は非力すぎる、どうしようもない」―――そんな気持ちが充満しているだろう。だからといって、そのことで大人はいたずらに同情するだけではいけない。彼らが真に必要なのは、事を切り拓くように促す激励や助言であって、同情ではない。
 もちろん、社会として就職支援の制度を補強することも、景気全体をよくすることも必要だ。しかし、マスメディアはそうした外部環境要因を部分的に取り上げ、センチメンタルなトーンで学生たちをある種の悲劇の主人公に仕立てる内容も少なくない。すると学生の中には「そうだ就職できないのは景気のせいなんだ」、「こんなタイミングに生まれ合わせた自分が不幸なのだ」、「企業は非情だ。社会は何もしてくれない」などといった勘違いの言い訳や被害者意識が蔓延してくる。
 この蔓延を放置してはいけない。私たちは厳父(肝っ玉母ちゃんでもいいのだが)の心で、外部環境がどうあれ、国に期待していいのは最低限の支援やセーフティネットであって、人生やキャリアそのものの本幹をつくっていくのは、あくまで自分自身の意志と力なのだと勇気づけていくことが求められる。職を得るというのは、「自立」の根幹に関わる問題である。この一線が死守されなければ、個人も国も立ち行かなくなる。

 それにしても、自分を取り巻く環境の力がいやおうもなく大きなものと感じられ、自分の努力の範囲で変えられることなど些細なものだという気持ちに陥るときは就職学生に限らず、一般の私たち1人1人にも日頃よくあることだ。勤めている組織が大きければ大きいほど、社会が複雑になればなるほど、経済システムがグローバル規模に広がれば広がるほど、自分の人生が不遇であればあるほど、環境や運命に対する投げやり感・無力感は心の内に根を広げる。きょうの本題は、そんな自分と環境・運命の関係である。

◆自分と環境・運命は「因果の環」にある
 私たちは経験で「自分が変われば環境・運命が変わる」ことを知っているし、また「環境・運命が変わることで自分が変わる」ことも知っている。つまり、自分の意志や行動は、環境や運命に影響を与える。そして同時に、環境や運命は自分にも影響を与えてくる―――それを簡単に示したのが下図だ。

次のページ◆変化の起点を自分に置くか自分の外に置くか

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村山 昇

キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。

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