「買うより借りる」バブル後新世代の心象風景

2009.09.13

ライフ・ソーシャル

「買うより借りる」バブル後新世代の心象風景

竹林 篤実
コミュニケーション研究所 代表

若者がクルマを買わない。それどころか免許を取らない人が増えている。その背景には一体、何があるのか。物心ついた頃にバブルが弾けた世代の心象風景は、何かが決定的に違いはしないか。

かつて新人類と呼ばれた若者がいた

1980年代の流行語であり、今やすでに死語と化しているのが『新人類』。それまでの世代とはまったく違った価値観を持つ世代を指すとされた。ちなみに1986年に新語・流行語大賞に選ばれてもいる。

世代でいえば1955年から1969年に生まれた世代を指し、中心層は1960年代前半をボリュームゾーンとする。筆者などはストライクゾーンど真ん中だ。確かに、自分の父親ぐらい(昭和一ケタ生まれ)とは価値観に違いがあることは認める。しかし、根っこの部分では通底するものがあるように感じる。

これを単純化して表現するなら「上昇志向」といえるように思う。といって出世して金持ちになってという激しい欲求を持っているわけではない。そうではないが、年を経るごとにそれなりに暮らしぶりが豊かになればよいぐらいには考えているし、豊かさの中にはそれなりに物欲が満たされていることも暗黙の了解としてある。

こうしたベーシックな価値観では、新人類と旧人類の間にそれほどの亀裂があるわけではない。

バブル前・バブル後

あるいは「一億総中流」などという言葉もあった。これも今や完全に死語といって差し支えないだろう。1960年代(=新人類が生まれた頃だ)から始まった高度経済成長は、日本人を全体的に豊かにした。もちろん富の偏在は、その頃から始まっていたはずだ。

しかし、どちらかといえば戦後、日本人の大多数が苦しんでいた貧しさから、みんなが一緒に豊かになる時代である。日本ならではの技術力、勤勉さなどが相まって高い経済成長を遂げ、多くの人が揃って豊かになった幸せな時代を象徴する言葉、それが「一億総中流」だろう。

ところが、やがて日本はバブルの渦に巻き込まれる。マネーゲームの勝者が、まともに働いていては絶対に手に入らないような巨額の富を手にする。富の著しい偏在が露わになってくる。一億総中流などといいながら、上位20%が全体の80%の富を独占するような社会に日本も変化していった。

そのバブルが弾ける。いま、ちょうど二十歳ぐらいの若者が幼少の頃のことだ。

Before Gates, After Gates

大前研一氏は1995年を境に世界が一変したという。何が変わったのか、情報環境が決定的に変わったのだ。インターネットである。情報は自分で手間暇にお金もかけて探さなければ手に入らないものから、ちょっとググればあふれるように押し寄せてくるものへと変わった。

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