「余命一年 行動リスト5」

2008.12.02

ライフ・ソーシャル

「余命一年 行動リスト5」

村山 昇
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

逆算からものごとを考える。その究極は、自分の「死」から、いまの一日一日の行動を考えること。

週末、近所の雑木林を
カメラを持って散歩した。

足元にはさまざまな色や形の枯れ葉が落ちている。
枯れ葉の上をカサカサと歩くのは何とも気持ちがいい。

すると、目の前に、はらりと一枚
葉っぱが落ちた。

手にとって見ると、
葉全体はつやを保っている。
植物にも体温があると思うのだが、そのわずかな体温も残っているように感じる。
葉の裏に走る葉脈は、細かな一筋までまだみずみずしい。
ついさっきまで枝にくっつき、
幹から養分をもらい生きていたが、
いまはもう土にとけて還るしかない。

私は、こうしたとき、いつも
吉田兼好の『徒然草』第四十一段を思い出す。
第四十一段は「賀茂の競馬」と題された一話である。

五月五日、京都の賀茂で競馬が行なわれていた場でのことである。
大勢が見物に来ていて競馬がよく見えないので、
ある坊さんは木によじ登って見ることにした。

その坊さんは、
「取り付きながらいたう眠(ねぶ)りて、
落ちぬべき時に目を覚ますことたびたびなり。
これを見る人、あざけりあさみて、
『世のしれ者かな。かくあやふき枝の上にて、安き心ありて眠(ねぶ)らんよ』と言ふに・・・」

つまり、坊さんは木にへばり付いて見ているのだが、
次第に眠気が誘ってきて、こっくりこっくり始める。
そして、ガクンと木から落ちそうになると、はっと目を覚まして、
またへばり付くというようなことを繰り返している。

それをそばで見ていた人たちは、あざけりあきれて、
「まったく馬鹿な坊主だ、あんな危なっかしい木の上で寝ながら見物しているなんて」
と口々に言う。

そこで兼好は一言。
「我等が生死(しゃうじ)の到来、ただ今にもやあらん。
それを忘れて物見て日を暮らす、愚かなることはなほまさりたるものを」。

―――人の死は誰とて、今この一瞬にやってくるかもしれない
(死の到来の切迫さは、実は、木の上の坊主も傍で見ている人々もそうかわりがない)。それを忘れて、物見に興じている町衆の愚かさは坊主以上である。

* * * * * *

医療技術の発達によって人の「死」が身近でなくなった。
逆説的だが、死ぬことの感覚が鈍れば鈍るほど、「生きる」ことの感覚も鈍る。

仏教では、人の命を草の葉の上の朝露に喩える。
少しの風がきて葉っぱが揺れれば、朝露はいとも簡単に落ちてしまう。
そうでなくとも、昇ってきた陽に当たればすぐに蒸発してしまう。
それほどはかないものであると。

仮に現代医学が不老不死の妙薬をつくり、命のはかなさの問題を消し去ったとしても、
人の生きる問題を本質的に解決はしない。
なぜなら、よく生きるというのは、どれだけ長く生きたかではなく、
どれだけ多くを感じ、どれだけ多くを成したか、で決まるものだからだ。

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村山 昇

キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。

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