菊池良生『ハプスブルク帝国の情報メディア革命』(集英社新書)を読む。
近代郵便制度がどのようにして生まれたか、というお話。
いくつか引用。
《ともあれ、郵便契約はなった。それによるとタクシス家は三八キロごとに宿駅を設けることになる。ちなみにこれが(中略)十七世紀初頭には一五キロごとになるのだから、まさしく「速く、速く(中略)」というわけだ。/配達人は宿駅が近づくと到着をホルンで知らせる。すると次の配達人は馬上で郵便袋を受け取る準備を始める。受け取ったら間髪いれずに出発である。夏は時速六~七キロ。冬は五~六キロで走る。》(p77~78)
この時代は、配達人、ウォーキングあるいはジョギングではない。騎馬である。
夏は時速六~七キロ。冬は五~六キロ。
遅くね?と思ったわけである。
この時代は、もう商売だから、マラトンや忠臣蔵の故事とは違うだろうけど。
しかし、後を読んで納得。
「早足だったら、時速6キロぐらいイケるよ、馬使うこともないんじゃない?」というのは、道路が整備されている現代ならではこそ。
後のほうで、道路事情の悪さが出てくる。激しく激しく悪い。山があるからトンネル掘ろう、という時代じゃないからね。
納得。そういや、北鎌倉から源氏山へ行く道に、「1キロ、歩いて1時間」と書いてあったっけ。
むしろ忠臣蔵が、想像を絶するというわけか。
さて、定期的に届けられる、ということが近代郵便の、それまでにない特色だった由。
そこから、こういうことも起こるようになる。
《近代郵便という新しい情報ネットワークにより当時の人々は自分の身体的生理に関係のない抽象的な時間(曜日、時刻)を意識するようになり、かつ縛られていく。》(p82)
かつて、毎週日曜日の深夜、日付が変わったころに、「あそこのコンビニは早く入ってるから」と、週刊少年ジャンプを買いに行き、全部読んでから寝ていたことを思い出しました。
こういうくだりもあります。
《近代郵便制度は(中略)やがて新聞を作り出した。》(p186)
どういうことか。
必ずしも自分宛てではない手紙を、みんなで勝手に読む、それによって遠くで起こっていることを知る、これが新聞の原型だそうです。
近代郵便制度以前は、信書の秘密なぞ、あってなきが如し、のようで。
郵便制度を国が一元的に管理したがったこと、経済的な面を除いても理解できる。
権力による郵便の管理=検閲し放題、ってことです。やろうと思えば、ね。
憲法で検閲を禁じながらも、GHQが検閲をしてたってこと、かなり知られてますよね。
てか、今現在でも、アメリカって、すべての通信をモニターしてるんだっけ。
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