ビジネススクールが教えないこと 【2】

2008.08.04

ライフ・ソーシャル

ビジネススクールが教えないこと 【2】

猪熊 篤史

ビジネススクールでは教えられないリスクのとり方について引き続き考えてみたい。

ビジネススクールでは「ケーススタディ」という教授法が活用されていて、企業の事例を活用して、その企業の経営を分析して、将来の戦略や事業のあり方などを考える。

一方で、現実の世界こそがケーススタディだと言うことも出来る。現実の世界は、過去の歴史とつながっていて、様々な資源や関係上の制約を受けている。また、将来に向けて解決されなければならない問題を多数抱え、何らかの解答が導き出されている。

現実の世界では決断や行動の結果が直接、個人や組織など、行動主体に対して跳ね返ってくる。行動主体は、常に何らかのリスクを負う。行動が正しければ報われ、判断を誤れば危機に直面することにもなる。「事実は小説よりも奇なり」である。

しかし、池の中のカエルは、となりの池を知らないものでもある。剣術修行に励んだチョンマゲ頭のサムライが、ピストルを持った洋服姿の外国人に対抗するようなことは避けるべきであると言うのは説教じみてしまうが、より広い視野で、良いモノを取り入れ、また、より良いモノを生みだしていくことが必要である。

視野を広げるのは、境界横断的な活動である。それは、情報の共有によって実現できる。家族、集団、会社、組織、社会など境界線が引かれがちな世界において重要なのは「教育」である。それは境界線を取り除く活動でもある。

一方で、教育にも問題はある。実業家、経営者、指導者を育成するビジネススクールの教育では、経営が主要な機能分野ごとに教えられる。現実の世界の実例を使って経営者としての思考、判断、行動の擬似体験(シミュレーション)が行われるが、そのシミュレーションが、知的好奇心を満たすためのゲーム、一時のエンターテイメント、あるいは、頭の体操で終わってしまっては意味がない。ゲームセンターのレーシングゲームで高得点を出す人が実際のレースで活躍できるわけではない。

それはシミュレーションの設計や運用側の問題でもあるが、シュミレーションを受ける側の問題でもある。

シュミレーションの設計者や運用者には、シミュレーションをより現実に近づけるような工夫や配慮が必要である。また、それを受ける人にとっては、経験を実際に活用する意志や思考が不可欠である。

貴重な時間や資金を投資してシミュレーション(教育・トレーニング)を受けることは、強い意志や高度な思考の表れでもあるだろう。しかし、シミュレーションに慣れると、シミュレーションを受けることが目的になってしまい、本来そのシミュレーションを受けることを決めた目的が曖昧になってしまことがある。 (次回に続く)

【V.スピリット No.94より】

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