「孤独のグルメ」には、なぜ孤独感がないのか?

2023.07.11

ライフ・ソーシャル

「孤独のグルメ」には、なぜ孤独感がないのか?

川口 雅裕
NPO法人・老いの工学研究所 理事長

五郎の孤食を見て、「かわいそうだ」と思う人はいません。

ナレーションがなければ、五郎がどんなことを考えているのかは分かりません。「1人で食事をしている」という姿だけなので、周囲からは何も考えずにただ淡々と料理を口に運んでいるようにしか見えないでしょうが、実際は全く違うかもしれません。もし、ドラマのような言葉がその人の頭の中に流れているのなら、孤食でも何の問題もありません。頭の中も五感もフル回転で、楽しい時間であるはずです。

将棋に「棋は対話なり」という言葉があります。対局者は黙って将棋を指していますが、何も考えていないわけではなく、一手一手はそれぞれの思考の結果です。つまり将棋は、相手が指した手の意味を読み取り、その手に対する自分の意見を返すという繰り返しであって、それは対話と同じであるということです。

黙っているからといって孤独ではないし、何も考えていないわけでもなく、頭の中にはたくさんの言葉や情報が流れ、ドキドキやワクワクが生じています(なのに、周りが口出しなんてしたら台無しです)。将棋が相手との無言の対話であるのと同様、孤食も、店や料理人、出された食事の味、見た目と対話をしている場合もあるということです。

こう考えてくると、問題は孤食そのものではなく、孤食によるマンネリなのだと思います。

五郎が孤食を楽しめるのは、見知らぬ街や通りで見知らぬ店に入り、緊張の中でどんなものが出てくるか分からないからです。いつも行く店で、いつも食べているものを食べるのなら、さすがの五郎でもあのような楽しい食事にはならないでしょう。マンネリを避けるには、食べるものや食べる時間、1人で食べるか誰かと食べるか、どこで食べるかを、自分で決められる環境であることが重要だということです。

老人ホームに入所している人が、不満な点として「食事」をよく挙げられます。これは、味や品数などが原因なのではなく、毎日、同じ時間に皆が集まって、皆で同じようなものを食べるというマンネリに原因があるように感じます。

高齢になると、食事は楽しみの大きな要素ですが、それはおいしいかどうかではなく、皆でしゃべりながら食べられるかどうかでもなく、「自分が食べたいときに、食べたいものを好きな環境で食べられるかどうか」ということではないかと、筆者は考えています。

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川口 雅裕

NPO法人・老いの工学研究所 理事長

「高齢社会、高齢期のライフスタイル」と「組織人事関連(組織開発・人材育成・人事マネジメント・働き方改革など」)をテーマとした講演を行っています。

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