30年前に寒い国で起こったこと:エリツィンというトリックスター

2021.01.12

開発秘話

30年前に寒い国で起こったこと:エリツィンというトリックスター

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/歴史を振り返るなら、徳川家康にしても、ナポレオンにしても、エリツィンにしても、保守と改革、五分五分の対決に、「正義」もへったくれもあるまい。四の五の言わせず、いきなりの砲撃爆撃で相手を黙らせたやつが勝つ。そこで腰が引ければ、徹底的に叩き潰される。それで歴史が決まる。その覚悟も無しに、どちらも決戦など煽ってはなるまい。/

しかし、混乱はこれで終わらなかった。92年の急激な市場経済化は、旧官僚たちが旧国営企業を私物化したオリガルヒ(寡占体)を生み、また、一般市民においても旧公営住宅などの奪い合いとなるなど、社会の分断格差が問題となっていた。これまでエリツィンと行動を共にしてきたロシア最高会議議長の経済学者、ハズブラートフ(1942~、50歳)や、ロシア副大統領で軍人のルツコイ(1947~、45歳)らは、この分断助長の「改革」を嫌い、議会で勢力を拡大。

翌93年春には、ハズブラートフ、ルツコイらは、エリツィン大統領に対して、露骨に批判するようになり、ついにはテレビで酔っ払いの田舎者呼ばわり。これに対し、93年9月21日、エリツィン(62歳)は大統領令によって議会を解散。しかし、22日、ロシア憲法裁判所は、これを憲法違反とし、ハズブラートフもまた、逆にロシア最高会議を招集して、大統領令を無効とし、ルツコイを新「大統領」に任命。24日、エリツィンは、議会のあるロシア政府ビルの電気、温水、電話などを遮断。

2年前同様、ロシア全土でストライキが起こり、多数の市民が武装してロシア政府ビルに集結。エリツィンは、躊躇無くロシア軍を出動させ、28日、流血の衝突。教会が仲介に入ったが、結局、交渉決裂。10月1日には数百人の軍人が離反し、武器を持ったまま反エリツィン側に合流。2日、デモ隊がモスクワ市内をバリケードで支配。3日にはルツコイ「大統領」とハズブラートフが、政府ビルのバルコニーから武装市民たちに呼びかけ、放送局を奪取し、クレムリンを襲撃して「犯罪者」エリツィンを逮捕するよう煽った。

同3日16時、エリツィンは、モスクワに非常事態宣言を発令。テレビ局の争奪は46人の死者を出し、放送も停止。翌4日朝までに何があったかわからない。ロシア政府ビルは砲撃と爆撃で炎上。一説には2000人以上の死傷者が出たとも言うが、報道は検閲され、詳細不明。8時、反動「共産主義者」たちの鎮圧をエリツインが宣言。昼にはビルの各フロアの掃討も終わり、ハズブラートフ、ルツコイら、クーデタ議員たちを拘束逮捕。その他の投降市民数百人はスタジアムに移送され、その後、処刑。年末12月12日の国民投票で大統領権限を強化した新憲法を可決し、ようやく事態を収拾した。

歴史を振り返るなら、徳川家康にしても、ナポレオンにしても、エリツィンにしても、保守と改革、五分五分の対決に、「正義」もへったくれもあるまい。四の五の言わせず、いきなりの砲撃爆撃で相手を黙らせたやつが勝つ。そこで腰が引ければ、徹底的に叩き潰される。それで歴史が決まる。その覚悟も無しに、どちらも決戦など煽ってはなるまい。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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