G-SHOCK。 言わずと知れた『カシオ計算機』のヒット商品“壊れない時計”だ。その世界累計出荷数は1億本を誇る。 精密機械の技術が凝縮さたれ繊細な腕時計は1980年頃、“より薄く”を競い合っていた。そんな中、“壊れない時計を作りたい”という、当時の常識では考えられない非常識な発想からG-SHOCKの伝説は始まった。 落としても壊れない腕時計G-SHOCKの生みの親・伊部菊雄さんに、文化放送『The News Masters TOKYO』のパーソナリティー・タケ小山が聞いた。 愛され続けて来年は35周年。ブームを巻き起こした90年代から時を経て、再び注目を集めているG-SHOCK。35年目の伝説に迫る。
非常識なモノへの挑戦 G-SHOCK開発秘話
『落としても壊れない丈夫な時計』
企画書に書かれたこの一行が、すべての始まりだった。
1976年、カシオ計算機(株)に入社した伊部菊雄さんは、時計の設計部に配属された。
ある日、ふとしたことで腕時計が手から抜け落ちて床でバラバラになってしまった。高校の入学祝いに父親から貰った大切な腕時計だったが、不思議なことに壊してしまったことで心が痛む前に「腕時計ってこんなに簡単に壊れちゃうんだ」と妙に感心をして床に散らばった部品を眺めていたという。「人は常識だと思い込んでいたことを目の当たりにすると、逆に感動しちゃうんですね」
「当時は薄型の腕時計が全盛時代でしたので、会社からはとにかく薄くすることを求められていたんです」
しかし伊部さんの頭の中は、設計者として求められていたものとは違うベクトルへ向かい膨らんでいった。 本来であれば構造案や実験スケジューラーなどを書かなければならないのだが、あの時の感動をそのまま一文にした。それが前代未聞の企画書『落としても壊れない丈夫な時計』という一行だった。
「商品イメージやデザインは全く考えていませんでしたので、企画が通ってしまって初めてどうしようかと考えたんです」
企画書としての体を成していなかったものがまさかOKになるとは思ってもいなかった伊部さんですが、肝心な耐衝撃性については「メタルケースに4カ所位ゴムをつければ大丈夫だろうと簡単に考えていたんです」。しかし、ここから苦難の日々が始まった。
タケ小山が「“壊れない”というのは、どの程度のものをイメージされていたんですか?」と尋ねると、「腕時計なので、本来であれば人の高さから落として壊れなければ充分なはずです。でも私がこだわったのは、もっと高い所から落としても壊れない頑丈さだったんです。それが10mという高さでした」。
“丈夫な”という非常に曖昧な定義を具体化する。伊部さんがこだわったのは壊れない強度をどのレベルにもっていくかということで、それが10mの高さから落としても壊れないという異常にハードルの高い数値目標だった。
モジュールにウレタンを巻き付け、落下させる実証実験を重ねた。「3階のトイレの窓から300個近くの腕時計を落としました。階段で登り降りを繰り返したものですから、おかげで足腰が鍛えられましたよ」と笑うが、当時は肉体的にも精神的にも辛かったに違いない。 落としても壊れないようになった時は、巻き付けたウレタンがリンゴ大の大きさになっていた。もはや腕時計ではなかった。
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