2017.10.04
「M&Aとは、必ず成功しなければならないもの」M&A業界のパイオニアが見つけた日本企業の生き残り方 株式会社日本M&Aセンター 分林保弘代表取締役会長
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南青山リーダーズ株式会社
今、日本企業の多くが事業継承問題に直面している。戦後70年間、日本の高度経済成長を支えてきた経営者たちが第一線から退き始め、後継者不足はさらに深刻化しているのだ。このような状況を予見し、当時としてはまだ馴染みの薄かったM&Aというビジネスをスタートさせた人物がいる。日本M&A(エム・アンド・エー)センターの分林保弘代表取締役会長だ。彼は1991年、全国の公認会計士・税理士から出資を募り、銀行や証券会社といった金融機関に属さない完全独立系のM&A仲介会社を設立。同社をM&A支援実績3,500件国内外に6拠点を構え、専門コンサルタントは200名超という業界屈指のリーディングカンパニーにまで成長させた。彼が起業するきっかけはなんだったのか、今後日本の事業承継問題はどうなるのか。M&Aビジネスの草分け的存在でもある分林保弘氏に話を聞いた。(聞き手:仙石実 公認会計士・税理士/構成:株式会社フロア)
アメリカ能楽公演が原点に
(仙石)分林会長はお父様が観世流の能楽師、お母様が裏千家茶道教授という芸術一家で生まれ、育っていらっしゃいます。分林会長にとって、お能とはどういうものなのでしょうか?
分林 能楽に関して言えば、生まれた時から父はプロの能楽師でしたし、兄は小学、中学、高校に入っても能楽を学んでいて、もう「お能が好きでたまらない」という人でした。
私も小学生の頃は、子方(こがた・子役のこと)として出ていた経験があります。能楽には650年の歴史があり、世界でもこれだけ継続している演劇はありません。そのような意味では、普遍的に続く芸術ではないかなと思います。
創始者である世阿弥は、能の作者、役者としてだけではなく、むしろ残した言葉から考えると、彼は哲学家なのではないかと思います。
転機は大学3年生の時に訪れました。東京で開催されたオリンピックを見た私は「何とかして海外に行って海外から日本が見てみたい」という気持ちになり、どうすれば海外に行けるのかということをずっと考えていました。

当時の大卒初任給は2万円ぐらい。飛行機代が25万円しました。今の貨幣価値で300万円ぐらいでしょう。大学総長等から推薦状をもらい、アメリカで演劇学部がある大学の学長宛に、50通ぐらい手紙を出しました。すると30校ぐらいから、「公演を期待している」という返事が届きました。
そこで私は1年間準備して、貨物船で2週間かけてアメリカに渡り、9月から1月まで、約30州で能楽を公演したのです。日本はまだスーパーマーケットも、外食産業も、もちろんコンピュータ社会もない時代でしたが、私はこの公演旅行を通じて、アメリカで起きたことは必ず日本でも起こるという確信を持ちました。
M&Aにしろ、AI(人工知能)の社会にしろ、結局アメリカで起きたことは日本で起きるのです。このアメリカ公演旅行の経験は、私に大きな影響を与えました。
将来の独立を見据えて、外資系に就職
(仙石)立命館大学卒業後、日本オリベッティ(現、NTTデータジェトロニクス)に就職されましたが、そこではどのような経験をされたのでしょうか?
分林 社会人になる前から、将来、独立することしか考えていませんでした。
特にこれからはコンピュータだと思っていましたので、外資系企業に入り、最先端のビジネスの仕方を学ぶつもりでした。
根本にあったのは、「営業は科学である。心理学である」という考えです。私には、日本企業とは違う科学的な手法で営業を勉強したいという思いがありました。マーケティング方法や業種別の展開、ネットワークの組み方を勉強したいと思っていました。なかでも一番影響を受けたのが企業分析です。
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