邪馬台国と賢者の石:神武天皇は錬金術師だった!

画像: 月岡芳年『神武天皇』

2016.11.01

開発秘話

邪馬台国と賢者の石:神武天皇は錬金術師だった!

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/高天原のアマテラスがニニギ、ニギハヤヒを降臨させたのは、倭が貴重な不老不死の霊薬、丹の国で、その大鉱脈を大国主が見つけたから。その争奪のために有象無象が命がけで古代日本を駆け巡った。/


 一方また、この禿げ山は、ただでさえ急な日本の河川の状況を悪化させた。梅雨や台風、雪解のたびに洪水や山崩れが麓の村々まで押し寄せた。例年襲い来る八岐大蛇も、入り組んだ谷筋を流れ下る土石流のことだろう。こうして増え続けた傾斜崩落地は、スサ・スセ・スガ・ソガなどと呼ばれた。


 スサの男(王)の名を持つスサノオは、このような古代日本の荒廃した山間部で、治山の技術を持っていたのだろう。また、傾斜崩落地で鉄を含む花崗岩などを掘り出し、これを斜面水路で砕いて比重差で砂鉄を取り出す鉄穴(かんな)流しで製鉄を行ったと思われる。八岐大蛇の尾から草薙(くさなぎ)剣を取り出した、とされているのも、忌み嫌われる土石流跡地から鉄を取り出したから。そして、高天原に十拳剣を献上したのは、自分の採鉄製鉄を売り込むため。


 ナムジは、穴持と記されたように、鉱山技術者だろう。吉備のスサノオのところで修業し、独立して出雲に移り、大国主となって、国造りに励む。文字通りの土木工事だ。ここに、天の羅摩(かがみ)船で、スクナビコナがやってきて、国造りに協力した。羅摩というのは、ガガイモのことで、10センチほどのロケットのような実をつける。それに乗ってきた一寸法師らしい。とめどなく崩れる禿げ山に、土木工事以外の植林のような治山方法を伝えたのではないか。ほかにも、酒造りや漢方薬などを教えてくれた。


 が、スクナビコナは死んでしまった。大国主が途方に暮れていると、海が光り、神が来て、言う、私を倭の青垣東山上に清め祀れ、と。これが大物主神。大国主自身の知恵と慈悲の象徴らしい。大和の国、初瀬川(大和川上流部)河口の北にそびえる標高467メートルの美しい三輪山。この山体そのものが神。山頂のさらに奥の奥津磐座には巨石群がある。なんにしても、大国主の出雲国は、この三輪山の麓に支領を持った。実際、ここに、縄文から弥生にかけての纒向(まきむく)遺跡がある。しかし、なぜ出雲はいきなり大和に植民領を作ったのか。海から来て、大和に祀れと言ったのはだれか。思うにこれはスクナビコナの遺言ではないか。じつは、初瀬川は、中央構造線上にあって、大量の丹が出るのだ。


 邪馬台国がどこにあったか知らないが、高千穂もこの中央構造線の上。実際、高千穂から30キロほど東北の佐伯市弥生の佐伯鉱山では、戦前まで水銀を掘っていた。高千穂も、全身に塗りたくるほど大量の丹がどこかで出ただろう。だが、その場所は、いまもわかっていない。また、たとえ大量の丹の原石が採れたとしても、この精製には膨大な燃料が必要になる。邪馬台国が大量の丹を作って使っていたとなると、周辺はすっかり禿げ山で、それ以上に原石が出ても精製できなくなっていたはずだ。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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