邪馬台国と賢者の石:神武天皇は錬金術師だった!

画像: 月岡芳年『神武天皇』

2016.11.01

開発秘話

邪馬台国と賢者の石:神武天皇は錬金術師だった!

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/高天原のアマテラスがニニギ、ニギハヤヒを降臨させたのは、倭が貴重な不老不死の霊薬、丹の国で、その大鉱脈を大国主が見つけたから。その争奪のために有象無象が命がけで古代日本を駆け巡った。/


 雨山社中の土を盗るには盗って来たにしても、もとよりその土で皿や甕すべてを作る必要はなかった。重要なのは、雨山の占いだ。イワレは、平皿で水なしで飴が作れるか、甕を川に沈めて鮎(占いの魚)が酔って流れるか、この二つがクリアできれば、自分は鉾刃の威を借りずして天下を取れる、とした。この飴、タガネと読む。ふつうの飴ではない。丹から取った水銀の合金、アマルガムだ。また、甕に入っていたのは、水溶性で超猛毒の二塩化水銀、「昇汞(しょうこう)」だろう。水に薄めても、ほんの一滴飲んだだけで大人が即死。指先に触れただけでもヤケドし、神経麻痺を起こす。


 なぜこんな占いをしたか、というと、丹は丹で赤くても、真朱辰沙ではないまがいもの、丹土(あかつち)、鉛丹(四酸化三鉛)や鉄丹(三酸化二鉄)などがよくあったから。そして、この二つの実験で、この地にあるのが本物の丹であることが確かめられた。本物の丹が手に入れば、鉾刃の威を借りずして天下を取れる、とイワレが言うのも当然。これを大陸に持ち帰れば、天下が買えるほどのカネになる。おまけに、奈良湖につながる初瀬川の上流地域にいて、水溶性で超猛毒の昇汞がいくらでも作れるのなら、これを川に流すだけで、奈良湖畔から河内まで、倭の原住民たちを皆殺しにできる。イワレは、神に甕を供え、弓矢運びの女性オシヒ(大伴氏の祖)をその巫女とした。


神武天皇の大和征服


 冬十月一日(いまの10月末)、イワレは、みずからこの甕の粮(おもの)を嘗め、兵を整えて出撃。だが、中身が二塩化水銀のとげとげの結晶だったら、嘗めたら死んでいる。二塩化水銀の昇汞は先に水に流してしまっているので、神に供えていたのは精製した辰砂だったのだろう。イワレは、これで自分は不老不死になったと信じていたにちがいない。この日、勇猛に国見丘の大軍を撃破。その後も、さまざまな作戦で、地元豪族連合軍を切り崩していく。


 十二月四日(いまの11月初め)、三輪山の南(現鳥見山)で、いよいよ長髄彦の主力軍と連戦するも膠着。氷雨降る中、イワレの弓の先に黄金の鳶が降り立ち、光り輝いたとか。よく絵に描かれる場面だ。これ見て、長髄彦が使者を送ってきた。我らはすでに神子ニギハヤヒに仕えている。なぜおまえは神子と偽って国を奪おうとするのか、と。これに対し、イワレは、神子は一人ではない。ニギハヤヒが本物の神子なら証拠のものがあるはずだ、それを見せてみろ、と問い返した。長髄彦は、ニギハヤヒの天羽々矢とその步靫(かちゆき、携行矢筒)を掲げた。すると、イワレも、同じ天羽々矢と步靫を示す。長髄彦は畏れつつも、イワレを討とうとした。ところが、ここでニギハヤヒ本人が義兄の長髄彦を殺し、地元軍とともにイワレに降伏帰順した。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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