お盆の夜は満月だった:僧侶も知らない本当の起源

画像: photo AC: acworks さん

2016.08.11

開発秘話

お盆の夜は満月だった:僧侶も知らない本当の起源

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/お盆は、もとは儒教の、死んだ先祖の罪業の宥しを請う「中元」の行事。インドの輪廻の死生観を持ち合わせていなかった中国や日本の葬式仏教が、この中元信仰に飛びついた。しかし、儒教も仏教も無く、死者を思い、自分の人生の来し方行く末を考えるのに、夏半ばのお盆は大きな意味がある。/


 もちろん、立派な人であれば、僧に教わり、経に習うまでもなく、この世に恩讐の執着のかけらも残さず、みずからきちんと成仏することだろう。だが、いろいろ世話になった側からすれば、恩返しもできぬまま、かの人に先立たれたとあっては、居心地が悪い。このままほうかむりでは、気持ちが済まない。せめて御仏前にお参りして、御遺族の方に御礼の言葉だけでも伝えたい。


 たとえ名目は死者のためでも、葬儀や法事は、つまるところ、生き残った者たちのもの。ましてお盆なんて、わざわざすでに成仏したはずの死者を迎え戻してまで、その人を思う。もともと仏教は、悟りが無いのを悟るのが悟り。生も無く、死も無く、恩も、恨みも、喜びも、悲しみも、すべては映画の中の物語のようなもの。終わってしまえば、なに一つ、リアルに残るわけでもない。ところが、ただ生きている間、人はそれに執着し、最初からありもしないものを、自分の存在を賭けて、周囲の人々にまで押し付け、あるかのごとく押し通そうとする。しかし、死んだ人を思うとき、もはやその人はおらず、その人の為したこともすでにあれこれと変わっていき、人というものの儚(はかな)さが逆に深く実感される。


 寺も滅び、僧も死ぬ。すべてが虚妄。それが仏教のはず。なのに、昨今、日本で仏教というと、文化財だ、宗教法人だ、と、伽藍を誇り、権勢を語る。かと思えば、観光地になりはて、テーマパークのように入場料を取り、大量生産のお守を売りさばく。それなら、僧侶がきちんと葬儀法事を務め、人々が集まり、故人を思い、死生を考える場を作り司る葬式仏教の方が、どれだけまともなことか。生前の功徳善行もないくせに分不相応な高位戒名をカネの力で希う遺族も遺族。この少子化、寺離れ、の時代に、お布施が少ないだのなんだの、いまだ生臭いことを言う寺など、ネットで悪い噂が立ってさびれ、仏罰(ばち)が当たるのは時間の問題。

(戒名は、本来、死者のものではなく、仏道修行者としての名。生きているうちに自分で仏門に入り、きちんと修行して法臘を重ね、格を上げていくべきもの。つまり、研究者の学位、学士号や修士号、博士号と同じ。にもかかわらず、それを、それまでなにもせず、死んでいきなり、天皇なみの院号付き位号がほしい、などという方が、どうかしている。なんの勉強もしていないくせに、大学には入りたい、でも学生はやりたくない、最初から教授や博士じゃないと嫌、というような、むちゃくちゃなわがまま。だったら、名誉博士号のように、よほどの財を寄付でもするのなら、というだけのことであって、もともと世俗のカネの力で法界の戒名を得ようとすること自体が、まったくひどい不正な裏口入学。そんな薄汚れたインチキ戒名の詐称に、法力などあるわけがない。いよいよもって嘘つきとして閻魔ににらまれ、地獄にまっすぐ堕ちるだけ。おまけに、その喜捨が高いだなんだと、寺にケチをつけるのは、まったくのお門違い。とくに熱心に寺に通っていたというわけでもない、ふつうのひとなら、一般的な居士・大姉、信士・信女の方がむしろ先々も穏当。(これらだって、本来は、もともとよほどの読書人、知識人でないと得られなかった仏門位。庶民なら、善男・善女の方がふつうだった。))

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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