価値[2] ~価値をはかる「ものさし」

画像: Yasushi Sakaishi@LaNTA DESIGN

2015.11.21

ライフ・ソーシャル

価値[2] ~価値をはかる「ものさし」

村山 昇
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

14歳から大人まで 生きることの根っこをかんがえる『ふだんの哲学』シリーズ 〈第3章|価値〉第3話 


では、このものさしについてもう少し考えを深めてみよう。ものさしには二つの重要な点がある。一つは、それによって「なにを」はかろうとするか。もう一つは、はかった度合いを「どう」示すか。

たとえば、先ほどの「標高」というものさし。これは山の外面的な高さをはかろうとし、その度合いを「メートル」という長さの単位を用いて数値で示すものだ。このものさしはだれにでも明瞭である。測定方法も決まっているし、メートルも世界共通の単位だからだ。3000mの標高の山はだれが測定しても3000mである。また、標高3000mと標高1000mとの比較も容易である。つまり客観的な評価ができるものさしなのだ。

それに比べ、「ハイキングでの楽しさ」や「思い出深さ」といったものさしはどうだろう。これらは山に対していだく情緒的な強さをはかろうとし、その度合いを感覚的に示そうとするものだ。この場合、人それぞれに感覚のちがいがあるし、必ずしも数値によって測定できるものではないために、あいまいな部分が出てくる。これは評価する人の主観的な判断にたよるものさしになる。

わたしたちはふだんの生活のなかで、ついつい、外面的な「多い/少ない」「大きい/小さい」をはかった数値に目を奪われがちになる。そしてそれらの数値によって、「自分はどうだ、他人はどうだ」とか、「勝った、負けた」と気をもむ。けれど、そうした外面の測定値だけでものごとをながめ比較することは、ほんとうに価値をみつめていることにはならない。

たとえば、数学のテストで90点取った生徒と50点取った生徒とがいたとき、90点取った生徒のほうがすごいと思うだろう。一カ月に100万円稼ぐ人と10万円稼ぐ人がいたとき、100万円稼ぐ人のほうがすごいと思うだろう。たしかに一面ではすごいことだ。しかし、それはあくまで人の技能的・経済的な価値しか表わしていない。

では、50点取った生徒や10万円稼ぐ人は、価値の低い人だろうか。たとえば50点取った生徒は、テストは苦手だけれども、ふだんから友だちの面倒をよくみて、いつもクラスを明るくしている。10万円稼ぐ人は音楽家で、地元の人たちにボランティアで音楽を教えたり、音楽会を主催したりしている。そうしたとき、もし彼らに「ほかの人や社会への貢献」というものさしを当てればどうなるか。このものさしは、その人の内面ややっている内容にまなざしを向けるもので、評価は必ずしも客観的な数値では表せない。が、彼らの存在の大きさがぐっとみえてくる。

続きは会員限定です。無料の読者会員に登録すると続きをお読みいただけます。

Ads by Google

この記事が気に入ったらいいね!しよう
INSIGHT NOW!の最新記事をお届けします

村山 昇

キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。

フォロー フォローして村山 昇の新着記事を受け取る

一歩先を行く最新ビジネス記事を受け取る

ログイン

この機能をご利用いただくにはログインが必要です。

ご登録いただいたメールアドレス、パスワードを入力してログインしてください。

パスワードをお忘れの方

フェイスブックのアカウントでもログインできます。

INSIGHT NOW!のご利用規約プライバシーポリシーーが適用されます。
INSIGHT NOW!が無断でタイムラインに投稿することはありません。