いま、あらためて「夢・志」考

画像: N.Muray

2014.05.28

仕事術

いま、あらためて「夢・志」考

村山 昇
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

夢や志を抱けない、抱きづらい、抱くのが野暮、抱かなくても幸せ……夢・志に対しての考え方や態度は人さまざまだ。ここではあらためて考える材料を3つ提示する。


等身大生活が悪いわけではない。利己が必ずしも悪いわけではない。ただ、それが掛け合わさって閉じた意識になるとき、なにやらよからぬことは起きてこないのか。そういった個人が集まってできる組織や社会はどうなのか。その観点で歴史を振り返りたい。

「自分は等身大の平和な生活で十分だ。けれどもこの身を使って何か世の役に立つことをしたい」といった他者や社会に向かって開いた意識の人は、壮大ではないかもしれないが、必然的に胸の内で夢や志が生まれ、その成就のための行動をすでにしている。強く穏やかな平和社会というのは、実は、そういった個人が多く集まった環境をいうのではないか。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇
【考える材料3】
意味を探し当てたとき人間は幸福になる



「人間とは意味を求める存在である」―――こう言ったのは、第二次世界大戦下、ナチスによって強制収容所に送られ、そこを奇跡的に生き延びたウィーンの精神科医ヴィクトール・フランクルである。

フランクルが凄惨極まる収容所を生き延びた様子は、著名な作品『夜と霧』で詳細に述べられているが、彼自身、なぜ生還できたかといえば、生きなければならないという強い意味を持ち続けていたからだ。

彼は収容所に強制連行されたとき、間近に本として発表する予定だった研究論文の草稿を隠し持っていた。しかし、収容所でそれを没収され、燃やされてしまう。そのとき彼には、なんとしてでもここを生き延びて、その原稿を再度書き起こし、世に残したいという一念が湧き起こった。

彼は戦後の著書『意味への意志』の中で次のように書く。

「(人間は)どうすることもできない絶望的な状況においてもなお意味を見るのであります」。 「未来において充たすべき意味へと方向づけられていた捕虜こそ、最も容易に生き延びることができたのです」。 「意味を探し求める人間が、意味の鉱脈を掘り当てるならば、そのとき人間は幸福になる。しかし彼は同時に、その一方で、苦悩に耐える力を持った者になる」。

夢や志――それは生きるうえでの強烈な意味と言い換えてもいいが――は、もちろん幸福という明るい未来に向かって躍動する力を与えてくれる。と、同時に、フランクルの指摘で重要なことは、暗黒の苦悩の中においても、そこを耐え忍ぶ力を与えてくれるものでもあることだ。その意味で、夢や志は私たちを二重に強くする。

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村山 昇

キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。

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