過労死を考えるときの「労働量」の定義

2007.12.10

組織・人材

過労死を考えるときの「労働量」の定義

寺西 隆行
(株)Z会

好きな仕事だったら過労死しない?いや充実しているとかえって危険? …「労働量」の基準によって、賛成反対、分かれるような議論のような気がします。 そこで、過労死を考えるときの「労働量」の定義でも。


ライブドアニュースに下記のようなタイトルの記事がありました。

「何時間働くと過労死するのか」 「好きなら大丈夫」かで議論白熱

トヨタ社員に過労死が認定された記事から、「人は何時間働くと過労死するのか?」というタイトルの記事を書いた小林英二さんのブログにコメントがいろいろ寄せられている、というものです。

ライブドアニュースの記事中にも

「好きな仕事だったら大丈夫」
「充実しているときほど危険」
「いやそもそも好きな仕事にはなかなか就けない…」

というように、「好きか嫌いか」で“体感労働量”が変わる、という視点が議論の中で散見されているわけですが…
「過労死」を考えるときの労働に、「好き」の概念を持ち込むと、いろいろ話がヤヤコシクなると思うんです。
補足)「好きな仕事を貫かなければいけない。楽しい仕事をしていかなければならい」と話しているブログ筆者の考え方を否定しているわけではなく、この考えはむしろ賛同したい部分です。

過労死という悲惨な出来事を考えるときの「労働量」とは、

“その労働が「逃れられない」もの”

として定義し、そこから「過労死かどうか」を判断すると良いと思うんです。
いくつか具体例で考えてみます。

1.能力のない社員の労働時間過多

能力がなくて労働時間が多くなっている場合、それは「逃れられないもの」ですから、会社側はその人の労働量を減らす必要があります。
そして、その人の「考課」で給与を(相対的に)下げる、という手法に出るべきでしょう。
「能力がないから終わるまでやらせる」のではなくて。
※実際問題、難しい場合も多々あるかもしれませんが…

2.「こだわり」社員の労働時間過多

とにかく何かにつけ「質」という領域を持ち出す社員ですね。
これは会社側からかけている負荷からみると「逃れられる」領域です。
しかし、本人からすると、意識の中で「逃れられない」領域になっている(好きでやってるわけじゃない!良くしようと思ってやっているんだ!という主張ですね)んですよね。

こういう社員のコントロールはとても難しいんですけど(そして、僕自身も「こういう社員」だった時期もありました)、この場合は根本に「逃れられる」があるので、労働時間過多になっても、過労死の心配は余りないような気がします。

質にこだわっているのに、「あれ、しっかりプライベートの用事があるときは(質をおろそかにして)帰ってるじゃん」って方の方が多いと思うんですよね(僕自身も「こういう社員」だった時期を振り返るとそうでした。ごめんなさい)。

次のページ3.好きな仕事に従事している社員の労働過多

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寺西 隆行

寺西 隆行

(株)Z会

文部科学省広報戦略アドバイザー 経済産業省「未来の教室」教育・広報アドバイザー 三島市GIGAスクール推進アドバイザー 等

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