「衣食住+職」足りて、“精神の飢餓感”を起こせるか

2013.07.23

組織・人材

「衣食住+職」足りて、“精神の飢餓感”を起こせるか

村山 昇
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

「腹の飢え」がなくなった私たちが、それに代わって、何かもっと大きな価値を成就したいという「心の渇き」を内面に起こし続けることができるのか。これは、個人にとっても、組織・社会にとってもほんとうに大きな課題です。

こうした自分の存在意義をめぐる渇きは、ただちに生命をおびやかすものではありません。ゆえに「衣食住+職」がとりあえず満たされ、ましてや多量の業務に忙殺される日々を送っていると、ついつい「心の渇き」に意識を向けることがおっくうになるものです。むしろ仕事疲れが増してくるほど、お金で交換できる非日常気分のレジャーや豪華なモノで癒しを得たいと思う。そしてもっとお金が欲しいとなる。で、もっとストレスフルに働いて稼ごうとする……。それは「富への憧れ」がもつ悪い回路に取り込まれた姿です。「富への憧れ」が知らずのうちに「富への執着」や「富を減らすことへの恐怖」に変質し、自分を別の意味で苦しめる。そこからはますます「心の渇き」が遠くなります。

ある人は言うかもしれません───「そんな小難しく人生を考えるな。リゾート地のホテルで、恋人や家族を伴い、美味しい料理を食べながらのんびり過ごすことだって豊かな時間だ。そこで鋭気を養って、休み明けからまた働けばいいのさ」と。私はそうした考えや行動を否定しません。私も実際そうしています(私は山登りに温泉にビールですけど)。しかし、それでは根本的な豊かさを得ることにはつながらないと思うのです。

◆堅固な豊かさ・もろい豊かさ
私が問いたいのは、その豊かさの堅固さです。お金で交換できる癒しや興奮、優越は、消費的であり、もろさを免れません。どんな金持ちであっても、王様であっても、幸せ家族であっても、モノで担保される安心に依っているかぎり、つねに「こんな幸福がいつまで続くんだろう。これを失うときが怖い」という気持ちにさいなまれるでしょう。その点、「心の渇き」に対する答えを見つけ出そうとする作業は、結果的に答えが見つかっても見つからなくても、それ自体、創出的であり、堅固な豊かさです。そうした堅固な豊かさを得ればこそ、ときどきに楽しむリゾート地での非日常イベントが、よりいっそう自分を蘇らせるものになるのだと思います。

「人間とは意味を求める存在である」と言ったのは、ユダヤ人精神科医ビクトール・フランクルです。彼は第二次世界大戦下、独ナチス軍に捕まりアウシュヴィッツ強制収容所に送り込まれました。そのとき書物にして出版するつもりでいた原稿が軍に没収されてしまいます。フランクルは収容所のなかで、ここを何としても生き延びてもう一度原稿を書きなおそうと決意します。それでその生きる意味こそが、自分にあの凄惨極まる収容所で耐え抜く力を与えたのだと語ります。であればこそ、次の彼の言葉は深く重い内容を含んでいます。

次のページ───「人間が幸福を追い求めれば追い求めるほど、ますま...

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村山 昇

キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。

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