生命は「動的な奇跡」~きょう1日を生きることの再考

2012.02.19

仕事術

生命は「動的な奇跡」~きょう1日を生きることの再考

村山 昇
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

『生命を捉えなおす』(清水博)・『動的平衡』(福岡伸一)の2冊、そしてベルグソンの言葉、『徒然草』の一話から「生命・生きること」を改めて考える。

  「取り付きながらいたう眠(ねぶ)りて、落ちぬべき時に目を覚ますことたびたびなり。これを見る人、あざけりあさみて、『世のしれ者かな。かくあやふき枝の上にて、安き心ありて眠(ねぶ)らんよ』と言ふに・・・」

 つまり、坊さんは木にへばり付いて見ているのだが、次第に眠気が誘ってきて、こっくりこっくり始める。そして、ガクンと木から落ちそうになると、はっと目を覚まして、またへばり付くというようなことを繰り返している。それをそばで見ていた人たちは、あざけりあきれて、「まったく馬鹿な坊主だ、あんな危なっかしい木の上で寝ながら見物しているなんて」と口々に言う。そこで兼好は一言。

  「我等が生死(しゃうじ)の到来、ただ今にもやあらん。それを忘れて物見て日を暮らす、愚かなることはなほまさりたるものを」。

 人の死は誰とて、いまこの一瞬にやってくるかもしれない(死の到来の切迫さは、実は、木の上の坊主も傍で見ている人々もそうかわりがない)。それを忘れて、物見に興じている愚かさは坊主以上である。

 医療技術の発達によって人の「死」が身近でなくなりました。逆説的ですが、死ぬことの感覚が鈍れば鈍るほど、「生きる」ことの感覚も鈍ります。
 仮に現代医学が不老不死の妙薬をつくり、命のはかなさの問題を消し去ったとしても、人の生きる問題を本質的に解決はしないでしょう。なぜなら、よく生きるというのは、どれだけ長く生きたかではなく、どれだけ多くを感じ、どれだけ多くを成したか、で決まるものだからです。

 この一生は「期限付き」の営みです。その期限を意識すればするほど、きょう1日をどう生きるかが鮮明に浮き立ってきます。
 哲学や宗教は「死の演習問題を通して、生を考えること」とも言われます。それほど生死(しょうじ)の問題は、人間にとっての一大テーマであり続けてきました。若いうちは、誰しも老いることも、ましてや死ぬことも考えられません。ですが、仕事や日常生活で悩みや停滞があればあるほど、こうした大きなテーマ――生きていることの驚きや有難さ、そして必ずやってくる命の終わりのこと――に考えを巡らせる時間をとることで、逆に卑近な問題やイライラは和らぎ、消えていくことでしょう。

 私は毎朝、散歩を欠かしません。近所の雑木林で見る日々の植物の変化や、日差しの移り変わり、野鳥たちの移動、気温の上がり下がり……それら生と死、盛と衰、陽と陰の「大きな波の往復」・「大きな変化の環」を感じることは、「大きな力」を得ることでもあります。みなさんも是非、そういう暇(いとま)をつくってみてください。知らずのうちにホコリや油分で曇っていた眼鏡レンズを拭き取ったときのように、世界が鮮やかに生き生きと見えてくると思います。

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村山 昇

キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。

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