「チャンス」も「運」も自分の努力でもたらされるもの。傍観者でいては決してやってきません。
「チャンスをつかむこと」
この表現には 言外に「努力した結果」を含んでいて
好意的にとらえられます。
では「運がいい」はどうでしょう。
多くは
「あいつは運がいいから・・・」
「ラッキーだったんだね」など、
努力なくして得た結果のように言われがちです。
実は私もそう捉えていました。
ところが、20代の頃何気なく「あの人は運がいいから」と言ったときに、
大先輩に「人のことを指して、あいつは運がいいヤツだから、などと言う
人間は自らの能力、感受性の無さを公言しているようなものだ」と大変
お叱りを受けました。
いわく、「運」は誰の元にも同じようにきている、繰り返し来ている。
それをチャンスととらえて行動するのか、
気づきながらあれこれ迷って行動しないうちにその運が去ってしまうのか
あるいは気づきもせずにやり過ごしているのか。
「あいつは運がいいから・・・」などと言っているヤツは傍観者で
人の事ばかり気にしていて、自分の努力を怠っていることを公言している
ものだ、と。
「運がいい」とは言い換えると「運が見える」ことなのです。
努力をすればするほど、「運が見えてくる」ことなのだとも言えます。
前回、プロジェクトチームに参加して役割を演じることが次のキャリア
(キャスティング)につながると書きました。
チームに参加して役割を演じることも努力することのひとつだと考えています。
マネージャーが何を目標にしていて、自分は何を期待されているのか。
どう演じればいいのか。
「こんな事をやるために会社に入ったんじゃない」
「自分に向いている仕事はもっと他にある」
そんな声を良く耳にします。
こんな事、とは「格好悪い」ことだったり「つまらない」ことだったり
するのですが、それはあくまでも役割であって本人の人格とは無関係です。
たまたまその役割を演じるのですから、その役になりきって、
どう振舞ったらいいのか、どうしたら周りの人も自分も楽しくできるのか
まずはやってみることが大切です。
その過程の中には必ず運もチャンスもあるはずです。
やってみたら意外と自分に向いていた、
次にやりたいことが見えてきた、
楽しげに演じている姿を見て次の候補者がどんどん出てきた
チャンスをつかむために、運が巡ってくるようにするためには
まずは自分自身がプレーヤになること。
そこで100%の結果が出なくても、プレーヤでいることが重要です。
野球だって3割打者となれば超一流選手と評価されるのですから。
チャンスの女神には前髪しかない、と言います。
チャンスに気づいたらすかさずその前髪をつかむこと。
つかんで振り払われても、あきらず次の女神を待つ。
「運がいい」と言われている人々も実は、こんな努力をしているに
違いありません。
そして失敗した時は素知らぬ顔をしているだけなのでしょう。
「あの人は運がいいのよね、ついているのよ」
それでも、思わず口にしてしまう時があります。
でもあれ以来、そんな時は自分を見直す機会だと肝に銘じています。
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2010.03.20
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