「セクハラの基準が分らん」と言う人の仕事の実力。

2011.04.25

組織・人材

「セクハラの基準が分らん」と言う人の仕事の実力。

川口 雅裕
組織人事研究者 /NPO法人「老いの工学研究所」理事長/一般社団法人「人と組織の活性化研究会」世話人

管理職の自律性について、セクハラに対する姿勢から考えてみる。

セクハラについて、多くのオジさんが冗談めかしてこんな会話をしているのを、よく耳にします。「俺がちょっと声をかけただけでセクハラになって、キムタクなら触ってもOKなんて、何だそれは?相手がどう思うかがポイントなんて、よく分からんよなあ。」

どこからがセクハラで、どこまでがそうでないのか、明確な基準があるべきだ。セクハラだと断じて、罰する可能性があるなら、ちゃんと基準をはっきりさせてもらいたい、と言っています。要は、「私はルールや罰則(報奨)があれば、それに基づいてちゃんと行動できるんだけれども、基準がなければ、すぐに困ってしまうんですよ。」と言っているわけです。こういう人は、評価会議でも「明確な評価基準がないから、評価しにくい。」「何をしたら、どんなことができたら、何点をつけたらいいのか、はっきりさせて欲しい。」といった一見、もっともらしいことを言います。が、こういう人の本音は、答えを教えて欲しいということなので、いくら基準を明確にしていっても「曖昧だ」と言い続けます。

そんな自律的に判断・行動できない人材が、マネジャーになると困る。言われなくても、ルールや仕組みがなくても、自分で思考し、想像力を働かせて行動できるのは、幹部やマネジャーはもちろん、一人前のビジネスパーソンの条件と言ってよいでしょう。部下から見ても、会社が定めたルールに則ってやれという指示・指導だけなのであれば、マネジャーの存在意義は非常に軽いものになります。いい役職についているだろう人達が、セクハラに基準がないのは変だと言っているのは、明確な基準やルールのもとでしか動けないと言っているのと同じで、冗談半分だとしても悲しい姿です。

また、こんな人材が多いと、セクハラの防止だけでなく、コンプライアンスの実現も有り得ません。なぜなら、相手がどう思うか、といういかにも曖昧で流動的なものが基準であるのは、セクハラだけではなくコンプライアンスに関わる分野の全てに共通しているからです。誠実性や倫理観といった自分の胸の中にだけあるものを基準にして行動できるかどうか、が問われているのがコンプライアンスであって、ルールや基準に則ってしか判断できないような他律的人材には、コンプライアンス上の危うさもあります。ルールや基準にはないから、という理由だけで良からぬことをやりかねません。

考えてみれば、終身雇用が崩れかけ、成果主義的な処遇システムが広がるのに伴って、会社に寄りかかっているような人材は困る、これからは、一人でもやっていけるような力量と自律性を求めるといったコンセプトになってきたはずであるのですが、実際には掛け声だけで、個々も組織もルールでしばり、手続きや体制の強化で監視をし、以前よりも子供向けの人材マネジメントになっているようにも見えます。給与格差を広げるぞというだけでは、怯えと萎縮を生むだけで、自律性は生まれない。「基準がないと動けない」管理職には、基準がなくても動けることが給与を高くしている理由であることを理解させた上で、自律的に思考しないと何も進まないような環境に置くのが良いと考えます。

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川口 雅裕

組織人事研究者 /NPO法人「老いの工学研究所」理事長/一般社団法人「人と組織の活性化研究会」世話人

組織人事関連(組織開発・人材育成・人事マネジメント・働き方改革・健康経営など)や、高齢者・高齢社会をテーマとした講演を行っています。

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