数十億円のカネを捨ててまで、マネックス証券を設立した理由(前)

2010.07.16

経営・マネジメント

数十億円のカネを捨ててまで、マネックス証券を設立した理由(前)

ITmedia ビジネスオンライン
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ネット証券の草分け的な男として活躍してきた、マネックス証券の松本大社長。米経済誌『フォーチュン』で「次世代を担う世界の若手経営者25人」の1人に選ばれた男は、どのような人生を歩んできたのだろうか。 [土肥義則,Business Media 誠]

 ボクは「ワークライフバランス」というのが苦手なんですよ。1日を振り返って、あまり忙しくなかったら、ものすごく後悔してしまう。だから、いつもガムシャラに働いていたいんですよ。

 なぜこのような性格になったかというと、小学5年生のころに遡ります。4歳年上にアニキがいたのですが、いきなり入院し、「小児ガン」と診断されました。ガンが発覚してから、わずか6カ月でアニキは息を引き取りました。そのとき「アニキはまだ生きたいのに、人生から降ろされてしまった。自分はアニキの分まで、生きていこう」と考えるようになりました。2人分を生きるのは難しいかもしれませんが、自分の出せる力の120%、150%、できるなら 200%出していこう。こうした意識はビジネスの世界でも、生きているかもしれません。ボクは「ここまでやろう」という目標はセッティングしません。「どれだけできるか」を常に考えています。

――マネックス証券の社長・松本大。ネット証券の草分け的な存在として活躍してきた男は、14歳でこの世を去らなくてはならなかった兄の死が大きく影響しているようだ。

 開成中学、開成高校を経て、東京大学に入学。周囲から見ればエリート街道を歩んでいた松本だが、大学4年生(22歳)のときに “壁”にぶち当たった。

 20歳のとき、阿波踊りを見に、徳島県へと出かけました。ボクは埼玉県で生まれ育ったのですが、それまで本州を出たことがなかったんです。そして 21歳のときに、友人と一緒に米国へ行きました。3週間ほどかけて、米国を回ったのですが、とても刺激的でしたね。ただ英会話に自信がなかったので、米国のひとたちとのコミュニケーションは、その友人に任せていました。

 そして大学4年生(22歳)のときには、自主留年を決めました。就職活動をせずに、今度は単独で米国に渡りました。しかし、全く自分の英語が通じませんでしたね。なんとかなると思っていたのですが……自分の話すことを相手が理解してくれませんでした。このことはとてもショックで、気持ちが“ふさがって”しまいましたね。「英語くらいはできるようになりたい」――。そう思い、英会話のテープなどを買ったりしたのですが、気力が湧いてきませんでした。

 1カ月くらい悶々とした生活を送っていたのですが、ふとこのように考えました。「外資系企業に就職しよう。そうすれば英語ができるようになる」と。その瞬間、それまでふさがっていた気分が晴れ、楽になりましたね。そして「外資系企業に行けば、自然と話せるようになる」と思い、英会話のテープは押入れにしまい込みました(笑)。

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