「博多 一風堂」河原成美物語1 ラーメン界で何を作ってきたのか

2009.09.11

経営・マネジメント

「博多 一風堂」河原成美物語1 ラーメン界で何を作ってきたのか

ITmedia ビジネスオンライン
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四半世紀にわたって、ラーメン界をリードしてきた「博多 一風堂」。その経営者・河原成美氏はどのような思いを込め、ラーメンを作り続けてきたのだろうか? 彼の人生を振り返りながら、ラーメンに対する熱い思いを紹介する。 [嶋田淑之,Business Media 誠]

 「最後の晩餐ですか? マスメディア的には『もちろんラーメンです』って答えるべきところなのでしょうが、でもね……正直言えば、ラーメンは食べません」

 しかしラーメンを生業にしているのに、一体なぜ?

 「若いころ、坊さんか仙人になりたかったんです。地位も名誉もつまらん。それと同じように、僕は食べることにも執着しません。最後の晩餐はまさに人生最後の選択なのでこだわりますよ。でも淡々と死を迎えたい。常に『カッコよく』ありたいんです」

 そう言って、イタズラっぽく微笑む。では結局、何を食べるのだろうか?

 「ご飯、味噌汁、目刺し、サラダ、野菜ジュースですね」

 こう語るのは、四半世紀の長きにわたって日本のラーメン業界をリードしてきた株式会社 力の源カンパニー代表取締役の河原成美さん(56歳)だ。

 人気ラーメン店「博多 一風堂」(以下、一風堂)を国内外に約40店舗展開するほか、「五行」を初めとするさまざまな業態の店舗展開をも成功させ、まさに東奔西走の日々を送っている。商品開発のときには1日に10~15杯のラーメンを食べ、この取材の前日も5杯食べたという河原さん。こうしたプロフェッショナルな表の顔とは裏腹に、プライベートは静かで、飄々(ひょうひょう)とした時間を過ごす人なのかもしれない。

 「物事への執着を捨てて、精神の輝きを得るのが僕の美学です」と微笑む。その表情はテレビ番組などで垣間見る、厨房での鬼気迫る形相からはほど遠い。きっと、これまでの人生には計り知れないご苦労もあったことだろう。そこで本連載では「人間・河原成美」の想いや心の軌跡を中心に、6回にわたってお届けしたいと思う。

25歳で味わったどん底が人生の原点


 河原さんは1952年、福岡県の城島町(現在は久留米市に併合)に生まれた。4人兄弟の末っ子。父親は有名進学校の美術教師で、母親は教育に厳しい人だったようだ。

 「う~ん、ほんとお袋の教育方針は、僕には窮屈でしんどかったなぁ……」

 良い学校、良い会社、そして安定した社会的地位と高収入――。親や周囲の人たちは「それが幸福な人生だ」という当時の社会の価値観を、河原さんに期待していたという。そして3人の兄たちはまさにそういう価値観に沿って、自分の夢を実現しつつあった。

 自分を取り巻くその状況に対し、河原さんは苦痛でならなかったようだ。高校を出て上京。美大を目指して美術学校に通いながら、俳優になるべく前進座の養成所にも入った。しかし夢破れて1年半後に帰郷。特にこれといった目標もないまま、福岡県にある九州産業大学の商学部に入学。劇団活動と飲食店でのアルバイトに明け暮れて卒業し、当時は流通業が花形ということで何となくスーパーマーケットに就職。

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