再考築<4>:仕事の「成功と幸福」

2007.07.27

組織・人材

再考築<4>:仕事の「成功と幸福」

村山 昇
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

【弊著・予告編】哲学者の三木清は、「成功は量的な相対評価に過ぎず、一方、幸福はオリジナルな個性である」と喝破した。過度な競争と捨てられない成功崇拝が、“職のサスティナビリティ”を脅かす。

続いて、
三木清の『人正論ノート』からも重要な箇所を抜き出してみましょう。

「成功と幸福とを、不成功と不幸とを同一視するようになって以来、
人間は真の幸福は何であるかを理解し得なくなった。
自分の不幸を不成功として考えている人間こそ、まことに憐れむべきである。

他人の幸福を嫉妬する者は、幸福を成功と同じに見ている場合が多い。

幸福は各人のもの、人格的な、性質的なものであるが、
成功は一般的なもの、量的に考えられ得るものである。

だから成功は、その本性上、他人の嫉妬を伴い易い。(中略)

純粋な幸福は各人においてオリジナルなものである。
しかし成功はそうではない。
エピゴーネントゥム(追随者風)は多くの場合、成功主義と結びついている。
近代の成功主義者は型としては明瞭であるが個性ではない」。

現代の私たちのビジネス社会は資本主義を基軸としており、
その回転エンジンは、競争原理です。
競争原理の下の社会では、いやがうえにも、
自分と他人の比較相対が待ち受けています。

私たちは、現在の各々の仕事において、あまりに
他人との(定量的で没個性な尺度による)比較相対で一喜一憂させられ、
あまりに「勝ち組・負け組」の烙印を押されることをこわがったりしているために、
自分のキャリアに歪みが生じ、
「働かされ感」で疲労・消耗がめいっぱいまで膨らんでいるのだと思います。

三木清の言うように、
『成功者』とは、単に、相対的・定量的に何かをうまくやっただけの人間です。
「ナンバー・ワン」「ストロング・ワン」「ビッグ・ワン」になることは
確かに一面、価値のあることですが、それが人生のまったくすべてではない。

他人ほど物事を巧く器用にはできないが、
自分なりの行き方、やり方で、
「オンリー・ワン」「ユニーク・ワン」を目指すという選択肢をこの競争社会の中で貫く、
そして泰然自若としていられる、それが『幸福者』です。

私は、成功と幸福を考えるモデルとして、下の2つを思い浮かべました。

「成功」(あるいは不成功)を考えるのは、『定規モデル』です。
つまり、自分が仕事上で獲得したもの、例えば、
収入とかそれで買ったモノ、あるいは自分の知識や能力、さらには仕事の成果・業績など、
有形・無形を問わずそれらのものを、
ある定規(物差し・スケール)を当てて、
自分の「相対的な位置」を確認することです。
自分が、他よりも多く、うまくやっていれば喜び、そしてほめられ、
逆に他より少なく、ヘタであれば元気をなくし、責任を問われる。

次のページ『器モデル』

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村山 昇

キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。

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