氏家幹人『サムライとヤクザ――「男」の来た道』(ちくま新書)を読む。
次の引用箇所の「嘉納先生」とは、言うまでもなく、講道館柔道の創始者・嘉納治五郎。嘉納杯という柔道の大会もありますよね。
また、これは、氏家さん自身の説ではなく、「仮病を使って欠席するほど柔道の稽古を嫌っていた」永井荷風の回想であることも付け加えておきます。
《高等師範学校の附属中学校に男色の風が広がったきっかけは校長の交代だった。新校長に「嘉納先生という柔術家」が熊本の高等中学校から転任して来たのを機に、中学校では毎日学課終了後一時間、柔術の稽古が行われるようになり、それから生徒の間で男色の風が広がり始めたというのだ。》(p77)
ははあ。そういうことがあったんですね。
話半分としても、なんとなーくわからんでもない。
もちろん当時は男子校だしなあ。
最後の最後に、実に見事に一冊の内容をまとめてあるので、それを紹介しておきます。
《江戸時代の武士は、将軍大名以下幕臣藩士に至るまで、総じて非武闘化の道をたどり、戦士の本分を弱めていく(中略)とはいえ将軍を頂点とする武士階級は、社会を支配し日常や非常時の秩序と治安を維持するために、それなりの武威を必要としていた。(中略)ならば誰が武士たちの武威を支えたのか。(中略)自前ではなく、町の荒くれ男たちに武士の本領であるはずの武威を外部委託(アウトソウシング)したのである。(中略)そして、近代以降、庶民の荒くれ男たちの側にも、俺たちこそ本物の武士の末裔だという自信が芽生えてくる。弱者を救い国を憂う高貴な侠客というキャラクターの登場である。》(p249~250)
コアスキルをアウトソーシングしてしまったことによる、アウトソース先との力関係の逆転。
……すいません、つい、こなれないビジネス書的言葉遣いをしてしまいました。
《武威の外部委託と、武士における“男としての引け目”が、明治以降たぶん現代に至るまで、サムライを自負する政治家や企業戦士が、アンダーワールドの男たちを毅然と排除できないばかりか、ややもすれば彼らと“共存”し、その力を“活用”する慣習を生んだ歴史的素地だったのではないか。》(p250~251)
なるほど。なかなか説得力のある議論ではある、と思いましたが。
興味がわいたのは、ヤクザ的なものが生まれたのは近世以降だとして、では中世以前、そういう存在はあったのか、あったとしたらどういう形態をとっていたんだろうか、ということ。
気性が荒くて乱暴な人間はいつの時代にもいたはずだし、かといって、中世以前がずーっと戦乱の世だったわけでもないしなあ。盗賊かな。
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