音の無駄と空間の無駄の関係

無駄を省きすぎると、余裕がなくなってあんまりいいものにならないんじゃないかなーというお話

唐突ですが、生音が好きです。

生音とは、生の音ということで、デジタルで作成された音ではなく生の楽器から出た音ということです。
もちろん電子音より生の楽器から出る音が好きだし、CDよりライブが好きだし、CDであってもきっちり録音されたものよりスタジオ一発録りみたいなルーズな録音のものが好というわけなんです。

んで、もちろん無意識にそういう音を好んで今まで来たわけなんですが、昨日ふとその原因に気づきました。
僕が好きなのは、音そのものよりも、音と音の間に感じる余韻なんです。
ギターでいうと弦の上で指を滑らせている感じであったり、
声でいうと息を吸い込むときの感じだったりという部分。
いい演奏を聴いているときは、そういう余韻が重なり合ってウォ~ンウォ~ンと頭の中でうねりまくってます。いわゆるグルーブというやつです。

これって、音と音の間で、音にはなってないけど空気を震わせている感じとか、皆が息を合わせている感じとか、若干のテンポの乱れとか、感情の起伏とか、そういう部分が重なってできる現象なのだと思います。

つまり、デジタル化の流れ、録音技術の発達、音源データの圧縮などの技術にとっては、まったくもって無駄なもの。まず一番に省いていく要素です。だから、どんなに演奏が上手くても、雑音を省いて綺麗に録音されたものには全然魅力がないんです。

あ、これは、建築における空間のゆとりと同じだな と思いました。

建築の空間をつくるときに、なるべく無駄な部分をつくりたいと思っています。なんの用途もない無駄な空間だなーと思われるかもしれませんが、実際出来上がると、そういう部分が一番豊かな空間になるわけで、その部分がその建築の顔になるわけなんです。

素材もそうです。
例えば無垢の床材。
無垢の床材は色もまばらだし、膨らんだり反ったりして凸凹になるし、同じ木なのに木目がきつかったり薄かったりして、一つとして同じ木目の板はないわけなんです。
例えば左官材。
いくら熟練した職人さんでもまったくの平滑には塗れないわけです。だから、まったく同じ表情を見せる部分はないわけなんです。

これが生音。ライブ。一発録音。

で、きっちりデジタル処理された音はというと、
プリントされた床材だったり、工業系のボードやビニールクロス。
木目のいいところだけをコピーして使っているのだから、きれーいに見えるだろうと思うんですが、まったく同じ木目が続いていく光景というのは絶対的な違和感があります。ビシーっと平らな壁っていうのもなんか変な感じですし、逆にちょっとしたほころびがあると、ものすごく気になってしまいます。

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