燃える郊外、沈む部屋——ヨーロッパの暴動が日本に問いかけるもの

2026.10.22

組織・人材

燃える郊外、沈む部屋——ヨーロッパの暴動が日本に問いかけるもの

齋藤 秀樹
株式会社アクションラーニングソリューションズ 代表取締役 一般社団法人日本チームビルディング協会 代表理事

なぜ、豊かになったはずの社会は、人間を育てる力を失いつつあるのか 1.街が燃える前に、何が壊れていたのか 冬の教室で暖房が十分に機能しない。校舎は老朽化し、予定されていた授業に教師が来ない。 これは、発展途上国ではなく、先進国フランスの一部の学校で指摘されている現実である。 現地の高校生からも、こうした教育環境について切実な声が届いている。もちろん、すべての学校が同じ状況にあるわけではない。しかし、証言と重なる問題は、フランス政府の調査によっても確認されている。

燃える郊外、沈む部屋——ヨーロッパの暴動が日本に問いかけるもの

なぜ、豊かになったはずの社会は、人間を育てる力を失いつつあるのか

1.街が燃える前に、何が壊れていたのか

冬の教室で暖房が十分に機能しない。校舎は老朽化し、予定されていた授業に教師が来ない。

これは、発展途上国ではなく、先進国フランスの一部の学校で指摘されている現実である。

現地の高校生からも、こうした教育環境について切実な声が届いている。もちろん、すべての学校が同じ状況にあるわけではない。しかし、証言と重なる問題は、フランス政府の調査によっても確認されている。

2026年4月、フランス教育省は2024~2025年度の公立中学校・高校で、予定された授業時間の9.8%が実施されなかったと発表した。そのうち7.5%分は、欠勤した教師の代替を確保できなかったことによるものである。残る2.3%分には試験実施などによる学校閉鎖が含まれるため、すべてを教員不足とみなすことはできない。それでも、教育を受ける機会に相当の損失が生じていることは確かである。

そして、この問題はすべての学校に均等に現れているわけではない。教育優先地区の中学校では、授業時間の損失が比較的大きいことも指摘されている。

同じ国に生まれ、同じ国民として育ちながら、住む地域によって教育環境に違いがある。

それは単なる設備や人員配置の問題にとどまらない。子どもたちが、社会から自分たちの存在をどのように扱われていると感じるかにも関わる問題ではないだろうか。

そのフランスで、2023年6月27日、パリ郊外ナンテールの17歳の少年が警察官に射殺されたことをきっかけに、大規模な暴動が発生した。

フランス上院の調査によれば、騒乱は672の自治体に及び、2,508棟の建物が放火や損壊の被害を受けた。そのうち243施設は学校であり、車両の焼失は12,031台、保険会社が計上した損害額は7億9,300万ユーロに達した。

学校や市役所、商店、公共交通機関。そこに暮らす人々の生活を支える施設が、相次いで破壊されたのである。

なぜ、自分たちの生活に必要な施設にまで、怒りや破壊行為が向けられたのだろう。

もちろん、暴動を起こした一部の人々と、郊外で暮らす住民全体を同一視してはならない。多くの住民自身が被害者であり、暴力による破壊は正当化されない。

しかし、暴動を単なる治安悪化や若者の規範意識の問題として片づけてしまえば、その背景にある社会の亀裂を見失うことになる。

問うべきなのは、なぜ街が燃えたのかだけではない。街が燃えるまでに、その社会で何が起きていたのか、ということである。

2.ヨーロッパの暴動は、一つの原因では説明できない

ヨーロッパで起きている暴動や社会不安は、一括りにできるものではない。

フランスでは、移民にルーツを持つ人々が多く暮らす郊外で、警察との衝突や暴動が繰り返されてきた。一方、2018年に始まった「黄色いベスト運動」では、燃料税や生活費の負担を巡って、地方や都市周辺部の住民が強い抗議の声を上げた。

英国では2024年、児童殺傷事件の加害者を巡る偽情報がSNSで拡散し、イスラム教徒や難民申請者の宿泊施設などを標的とした暴動が発生した。英国議会の調査でも、虚偽情報が暴力を煽った経緯が明らかにされている。

スウェーデンでは、一部の地域で犯罪ネットワークが若者を勧誘し、銃撃や爆発事件などの組織犯罪が問題となっている。

移民系住民の社会的排除、移民への反発、犯罪組織への若者の取り込み。それぞれの背景や動機は異なる。経済的な困窮だけでなく、差別、宗教、文化、治安、政治的な動員など、さまざまな要因が関わっている。

したがって、これらをすべて「移民政策の失敗」や「貧困の結果」と説明するのは正確ではない。

しかし、その違いを認めたうえで、さらに一段深く考えると、共通して検討すべき問題が見えてくる。

それは、人々が社会の中で自分の役割を見いだし、能力を発揮し、社会の未来に関わっていく道筋が、どれほど開かれているのかという問題である。

例えば、フランスの国土結束庁が2026年に公表したデータによれば、2024年の優先政策地区における就業率は49.8%だった。その他の都市地区の70.0%と比べると、大きな格差が存在する。

失業率も16.6%と、その他の都市地区の7.5%の2倍以上である。

さらに、15~29歳の若者のうち、就学も就労も職業訓練もしていないNEETの割合は21.8%に達している。その他の都市地区では11.2%だ。

仕事を通じて能力を磨き、収入を得て、家族を支え、地域社会の一員として役割を担う。そのような機会が得にくい人々が、特定の地域に集中しているのである。

しかも、問題は単に働く機会が少ないことだけではない。

差別や偏見によって、努力しても正当に評価されない。教育を受けても、望む仕事に就くことが難しい。社会の一員であるはずなのに、自分の存在が十分に認められていないと感じる。

そのような経験が積み重なれば、人々が社会に寄せる信頼や期待は弱まっていくだろう。

ただし、社会的な疎外を経験した人々が、必ず暴力に向かうわけではない。暴動には、具体的な事件、集団心理、政治的な煽動、暴力への抵抗感の低下など、別の条件も必要である。

それでも、社会参加の機会と社会への信頼が、重要な背景の一つであることは見逃せない。

3.失われたのは、「必要とされる大人」になる道筋ではないか

ここで、もう少し人間の側から問題を考えてみたい。

人間は、単に衣食住が満たされれば、社会の一員として充実した人生を送れるわけではない。

他者との関係の中で自分の能力を試し、責任を引き受け、失敗から学び、誰かの役に立つ。その経験を通じて、自分が社会の一員であることを実感していく。

職場で仕事を任される。地域で頼りにされる。家族や仲間から信頼される。自分の行動によって、周囲の何かが少し良くなる。

そうした経験は、収入や社会的地位とは別の意味を持っている。

自分の存在が、他者や社会と確かにつながっているという感覚を育てるからである。

もちろん、人間の尊厳は、誰かの役に立てるかどうかによって決まるものではない。働けない人も、支援を必要とする人も、その存在自体が尊重されなければならない。

しかし、人が自分の可能性を育て、社会との関わりを深めていく過程において、役割を担い、貢献し、その経験を他者と分かち合うことには重要な意味がある。

問題は、その経験を積むための場が、現代社会の一部で弱くなっていることではないだろうか。

かつては、家庭や学校だけでなく、地域の共同体、職場、労働組合、宗教団体、スポーツクラブなど、多様な場が人間の成長に関わっていた。

そこには同調圧力や差別、閉鎖性といった問題もあった。決して理想的な共同体だったわけではない。

それでも、世代を超えた人間関係の中で、若者が役割を覚え、社会の規範を学び、少しずつ責任を引き受けていく機能を担っていたことは確かだろう。

現代では、そうした共同体の一部が弱まり、人間が社会と関わる経験のあり方が変わってきた。

その一方で、SNSや犯罪組織、過激な政治運動などが、若者に即座の承認や仲間、影響力を提供する場合がある。

2023年のフランス暴動でも、明確な政治的要求を持たず、集団の興奮やSNS上の模倣、競争によって行動した参加者がいたことが、政府や議会の調査で指摘されている。

なぜ、社会を破壊するような行為が、参加者にとって意味を持ってしまうのか。

そのすべてを承認欲求で説明することはできない。しかし、正当な社会参加によって影響力や存在感を得る経験が乏しい場合、別の方法でそれらを手に入れようとする危険があることは考えられる。

ここに、単なる貧困対策や治安対策だけでは届かない問題がある。

社会に必要とされる人間になる道筋を十分に示せない社会が、社会を大切にする人間を育てられるのだろうか。

4.誰が、次世代を後回しにしているのか

しかし、ここで若者自身の問題に目を向けるだけでは不十分である。

なぜ、教育の機会が不足し、社会参加の道筋が狭まり、成長を支える場が弱くなっているのか。

その背景には、国家や自治体、企業、そして社会全体が、何に資源を投入し、何を優先してきたのかという問題がある。

近年、その象徴的な事例となっているのが、世界的な軍事支出の拡大である。

ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)によれば、2025年の世界の軍事支出は2兆8,870億ドルに達し、実質ベースで11年連続の増加となった。ヨーロッパでは前年から14%増加している。

さらに、NATO加盟国は2025年、2035年までにGDPの5%を防衛・安全保障関連の支出に充てる目標に合意した。そのうち少なくとも3.5%は中核的な防衛支出に充てられる。

背景にあるのは、ロシアによるウクライナ侵攻や欧州の安全保障環境の変化である。国家が軍事的な脅威に備えることは、国民の生命と生活を守るために必要な場合がある。

したがって、軍事費を増やしているから教育が悪化していると単純に結論づけることはできない。

しかし、財政資源が有限である以上、防衛、教育、医療、社会保障、経済対策などの間には、優先順位を巡る判断が存在する。

そのとき、国家は何を基準に判断しているのだろうか。

目に見える脅威や短期的な政策目標への対応は、比較的成果を説明しやすい。一方、人間を育てるための投資は、結果が現れるまでに長い時間を要する。

学校の施設を改善し、経験豊かな教師を育て、地域の信頼関係を築き、若者が自立する機会を増やす。その成果は、選挙や予算編成の短い周期では十分に評価されにくい。

しかし、だからといって後回しにしてよいものではない。

むしろ、国家や社会を長期的に支える力を育てるという意味では、極めて重要な投資である。

ここで問い直したいのは、軍事費の是非そのものではない。

国家は、何を守るために存在しているのか。そして、その目的のために、何を優先しているのか。

国境を守ることは重要である。

経済を成長させることも、財政を持続可能なものにすることも重要である。

しかし、その国に暮らす人々が十分に教育を受けられず、未来に希望を持てず、社会とのつながりを失っていくのであれば、国家の安全保障や経済成長は、最終的に何を実現したことになるのだろう。

国家の強さと、国民の豊かさは、必ずしも同じではない。

そして、国家を守る力と、その国家を未来に引き継いでいく人間を育てる力は、本来、切り離して考えるべきものではないはずだ。

5.日本では、なぜ炎ではなく沈黙なのか

ここで、日本に目を向けたい。

日本では、ヨーロッパのような大規模な暴動は少ない。治安は比較的安定し、失業率も低い。

学校への所属感についても、OECDのPISA2022調査では、日本の15歳の86%が学校に所属していると感じており、OECD平均の75%を上回っている。

これは、日本社会が持つ大切な強みである。

しかし、その一方で、異なる現実も存在している。

日本財団が2024年に実施した、17~19歳を対象とする6か国比較調査では、「自分の行動で国や社会を変えられると思う」と回答した割合は、日本が45.8%だった。

米国は65.6%、英国は56.1%、韓国は60.8%、インドは80.6%、中国は83.7%である。

調査方法や文化的な回答傾向の違いには注意が必要だが、日本の若者が、自分の行動によって社会に影響を与えられると感じる割合は、比較対象国の中で低かった。

また、内閣府の2022年度調査では、15~64歳でひきこもり状態にある人は約146万人と推計されている。

もちろん、ひきこもりの背景は多様である。疾病、障害、家庭環境、いじめ、職場での経験など、さまざまな要因があり、社会への無関心や責任感の欠如によって説明できるものではない。まして、社会的孤立と暴力を安易に結びつけるべきではない。

それでも、日本において、社会との関わりを持ちにくくなった人々が相当数存在していることは、重要な現実である。

そして、もう一つ気になるのは、社会の中に所属しているにもかかわらず、自分自身がその社会を変える主体であると感じにくい人々の存在である。

学校に通っている。会社で働いている。日々の生活を送っている。

しかし、自分の意見が反映されることは少なく、与えられた役割をこなすことが中心となり、社会や組織の未来を自分自身の問題として考える機会が乏しい。

そのような状態が続けば、人は社会への期待を少しずつ失っていくかもしれない。

ここには、ヨーロッパとの重要な違いがある。

フランスの一部地域では、社会に参加しようとしても、差別や経済的な障壁によって十分に受け入れられないという問題がある。

日本では、制度上は社会に所属していても、その中で自分が何かを変えられるという実感を持ちにくい場合がある。

もちろん、両者を同じ原因で説明することはできない。暴動が起きるかどうかは、政治文化や集団行動の歴史、治安、社会制度など、さまざまな条件によって異なる。

しかし、一つの共通した問いを投げかけることはできる。

人は、その社会の中で、自分が未来をつくる当事者だと感じられているのだろうか。

ヨーロッパで暴動が起きることと、日本で社会的な孤立や無力感が問題になることは、同じ現象ではない。

それでも、社会と人間の間にあるつながりが弱くなるという問題は、どちらの社会にとっても無関係ではないのである。

6.20年後の日本は、いまのヨーロッパから何を学ぶべきか

さらに、日本には将来に向けて考えなければならない問題がある。

外国人住民の増加である。

2026年6月末時点の日本の在留外国人数は428万1,026人となり、過去最多を更新した。総人口に占める割合は約3.5%に達している。

少子高齢化による人手不足が進む中、外国人材の受け入れは、労働市場や地域経済を支える重要な課題となっている。

しかし、ここで一つ確認しておきたい。

外国人を労働力として受け入れることと、社会の一員として迎え入れることは、同じではない。

仕事に就くために来日した人々の中には、日本で家庭を築き、子どもを育てる人もいる。その子どもたちは、日本の学校で学び、日本語で生活し、日本社会の中で成長していく。

では、その子どもたちは将来、どのような存在として社会に迎え入れられるのだろうか。

一人の日本社会の担い手として、能力を発揮し、役割を担い、未来をつくる存在になれるのか。

それとも、出自や名前、文化的な背景によって、社会の周縁に置かれ続けることになるのか。

フランスでは、法的には同じ国民でありながら、出自や居住地域によって就職や社会参加に障壁が存在する問題が長く指摘されてきた。

もちろん、日本とフランスでは移民の歴史、国籍制度、社会構造が異なるため、日本が必ず同じ道をたどるわけではない。

しかし、その経験から学べることはある。

必要なのは、言語教育や就労支援だけではない。異なる背景を持つ人々が互いを尊重し、共通のルールを守り、社会の未来に共に責任を持つ関係を育てていくことである。

そのためには、受け入れる側にも、参加する側にも、相互理解と責任が求められる。

そして、その関係は制度だけでは完成しない。

学校、職場、地域社会という日常の場で、人と人とが関わり、信頼を築く経験の積み重ねによって育っていく。

日本がこれから考えなければならないのは、外国人を何人受け入れるかという量の問題だけではない。

共に生きる人々を、どのような社会の担い手として迎え入れ、育てていくのかという、社会の質の問題でもある。

7.企業という小さな社会にも、同じ問題がある

ここまでの議論は、国家や移民政策だけの話ではない。

日本企業の中でも、よく似た問題が起きているように思える。

企業は、売上、利益、生産性、効率化などの数値目標を追求する。これらは組織の存続にとって重要である。

しかし、数値目標の達成が自己目的化したとき、そこで働く人間の成長や、社会にどのような価値を生み出すのかという問いが、後回しになることがある。

社員は仕事を与えられ、進捗を管理され、成果を評価される。

その一方で、仕事の目的を考え、自ら課題を発見し、他者と協力し、組織の未来に責任を持つ経験が十分に与えられていなければ、どうなるだろう。

仕事は、生活費を得るための作業になっていく。

組織は、自分が育てていくものではなく、経営者や管理職が運営するものになる。

そこで働く人々が、組織の未来を他人事として捉えるようになっても、不思議ではない。

しかも、管理職自身が、指示や管理を中心とした仕事の進め方しか経験していなければ、若い社員に対しても同じ関わり方を繰り返す可能性がある。

人材育成の重要性は理解している。しかし、日々の成果に追われ、人を育てる時間が十分に確保できない。

その結果、組織は仕事を回すことには長けていても、人間を育てる力を十分に発揮できなくなる。

ここに、国家と企業を貫く一つの共通した問題がある。

制度や仕組みは、運営を効率化するために高度化してきた。しかし、それを担う人間が成熟していくための経験や関係性は、必ずしも同じように発展してきたわけではない。

本来、組織とは、異なる能力や経験を持つ人々が協力し、一人では実現できない価値を生み出すために存在している。

その過程で人が育ち、信頼関係が深まり、組織もまた成長していく。

人間の成長と組織の成長は、本来、別々のものではない。

人間が組織を育て、組織が人間を育てる。その循環があってこそ、組織は持続的に進化していくのである。

8.最も深い本質は、社会と人間の関係にある

ここまで考えてくると、ヨーロッパの暴動を出発点とした問題は、さらに大きな問いへとつながっていく。

そもそも社会とは、何のために存在しているのだろうか。

国民の生活を保障するためか。経済を成長させるためか。国家の秩序と安全を維持するためか。

いずれも重要である。しかし、それだけで社会の役割を説明し尽くせるだろうか。

近代以降、国家は法制度、教育、福祉、経済政策、安全保障などの仕組みを高度化させてきた。

その成果によって、人々の生活は大きく改善され、教育機会も拡大した。

しかし、制度が高度化することと、人間が成熟することは同じではない。

知識を身につけたからといって、他者を理解できるとは限らない。権利を与えられたからといって、社会への責任を引き受けるとは限らない。

生活が豊かになったからといって、人生に意味や誇りを感じられるとは限らない。

そして、国家が強大な軍事力を持っていても、その国で暮らす人々が幸福であるとは限らない。

ここで私たちは、制度や経済の発展と、人間の成長・成熟を区別して考える必要がある。

人間は社会から一方的にサービスを受け取るだけの存在ではない。自ら考え、他者と関わり、経験から学び、社会をより良くしていく可能性を持った存在でもある。

そして社会は、その可能性を育てるための条件を整える役割を持っている。

この二つの関係は、本来、相互に支え合うものである。

社会が人間を育てることによって、社会の未来を担う人々が育つ。

育った人々が他者や社会への責任を引き受けることによって、社会はさらに成長していく。

私は、この循環こそが、社会の持続可能性を支える重要な基盤の一つだと考えている。

逆に、社会が人間を育てる機能を弱め、人間が社会を他人事として捉えるようになれば、制度や経済の規模が拡大していても、その社会は内側から力を失っていく可能性がある。

ただし、その責任を若者や社会的に弱い立場にある人々へ押しつけてはならない。

まず社会の側が、人間の尊厳を守り、能力を育て、参加する機会を保障する責任を果たさなければならない。

そのうえで、人々が自らの意思で役割を引き受け、社会に関わる機会を持つことが重要になる。

つまり、問題の核心は、誰が悪いのかという責任の押しつけ合いではない。

国家と社会が人間を育てる責任を果たし、人間が社会を育てる責任を引き受ける。その双方向の関係が、どれほど機能しているのかということである。

9.では、私たちは何を変えなければならないのか

この問題に向き合うためには、経済的な再分配や治安対策だけでなく、人間が社会の担い手へと育っていく仕組みを、あらためて考える必要がある。

まず、教育の役割を見直さなければならない。

学校は知識や技能を教えるだけの場所ではない。他者と関わり、自分で考え、異なる意見を受け止め、協力して課題を解決する経験を積む場所でもある。

そのためには、十分な教員を確保し、安心して学べる環境を整えるという基本的な責任が欠かせない。

暖房が機能せず、教師も十分に配置されていない教室で、社会への信頼や未来への希望を育てることは難しい。

同時に、学習の中に、実際の社会と関わる機会を増やしていくことが重要になる。

地域の課題に取り組み、異なる世代の人々と協力し、自分たちの行動によって何かが変わる経験を積む。そのような学びは、社会を単なる知識の対象から、自分も関わる現実へと変えていく。

企業においても、管理と評価だけではなく、社員が自ら問いを立て、挑戦し、他者と協力し、経験から学べる環境を整える必要がある。

人材育成を研修や教育制度だけに委ねるのではなく、日々の仕事そのものを成長の機会へと変えていく。

管理職に求められるのは、単に社員を動かすことではない。人が自ら動き、育ち、組織に貢献する条件を整えることである。

地域社会にも、世代や立場を超えて人々が関われる場が必要になる。

支援を受ける人と支援する人を固定するのではなく、誰もが状況に応じて支えられ、また誰かを支える存在にもなれる。

そのような相互性の中で、人間関係は深まり、信頼は育っていく。

そして、政治においても、政策の優先順位と成果を評価する視点を広げる必要がある。

経済成長率、財政収支、防衛力といった指標に加え、教育機会の格差、若者の社会参加、地域のつながり、社会的な信頼など、人間と社会の持続可能性に関わる指標を重視する。

何に予算を使ったかだけではなく、その結果として、人々の生活と成長の可能性がどのように変わったのかを検証するのである。

重要なのは、人間を育てる投資を、将来の経済成長のための手段としてだけ捉えないことである。

人間が尊厳を持ち、自らの可能性を育み、社会の未来に関われること自体が、社会の大切な目的の一つであるはずだ。

10.国を守るとは、何を守ることなのか

最後に、もう一度、フランスの教室に戻ってみたい。

冬の寒さの中、暖房が十分に機能しない教室で授業を待つ若者がいる。

一方で、その国は、国民の安全を守るために巨額の軍事予算を必要としている。

どちらも国家にとって重要な課題である。

しかし、ここで私たちは、根源的な問いに向き合わなければならない。

国を守るとは、何を守ることなのだろうか。

領土か。国家機構か。経済力か。国際社会における地位か。

もちろん、それらは重要である。

しかし、その国で暮らす人々の尊厳や生活、そして次の世代が持つ可能性を守ることも、同じように重要ではないだろうか。

そして、国家にその責任を求める私たち自身は、社会の未来に対して、どのような責任を引き受けようとしているのだろう。

政治家や行政に不満を持ちながら、自分たちは社会を変えることを諦めていないだろうか。

上司や経営者を批判しながら、自分自身は組織の未来を他人事として捉えていないだろうか。

若者に主体性や責任感を求めながら、その若者に挑戦する機会や成長を支える関係を提供しているだろうか。

社会の問題は、国家や制度だけを変えれば解決するものではない。

しかし、個人の意識を変えるだけでも解決しない。

国家、教育、企業、地域、そして私たち一人ひとりが、人間の成長と社会の未来をどのように結びつけていくのか。

そこに、持続可能な社会を考えるうえでの重要な課題がある。

ヨーロッパの暴動は、単なる治安問題ではない。格差、差別、政治的不信、社会統合の機能不全など、複数の問題が重なって生じた現象である。

日本の社会的孤立や無力感も、同じ原因から生まれたと断定できるものではない。

しかし、異なる現象を通じて、私たちは共通する問いに向き合うことができる。

その社会は、人間をどのような存在として扱い、どのような未来の担い手へと育てようとしているのか。

私たちは、より豊かな国家をつくろうとしてきた。より強い経済を築き、より高度な技術や制度を手に入れようとしてきた。

では、その先に、どのような人間が育ち、どのような社会が残るのだろう。

社会が人間を育て、人間が社会を育てる。

その循環を失った社会は、たとえ外側からは豊かで強く見えても、内側から未来をつくる力を失っていくかもしれない。

燃える郊外は、遠いヨーロッパの出来事である。

しかし、自分の力で社会を変えられるとは思えず、誰かの役に立つ機会を十分に持てず、社会とのつながりを失っていく人々の存在は、決して遠い国だけの問題ではない。

国を守るということは、その国で生きる人間の尊厳と、次の世代が未来をつくる可能性を守ることでもある。

そして、守られ、育った人間が、今度は社会を守り、育てていく。

その当たり前に思える関係を、私たちはもう一度、社会の中心に取り戻す必要があるのではないだろうか。

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齋藤 秀樹

株式会社アクションラーニングソリューションズ 代表取締役 一般社団法人日本チームビルディング協会 代表理事

富士通、SIベンダー等において人事・人材開発部門の担当および人材開発部門責任者、事業会社の経営企画部門、KPMGコンサルティングの人事コンサルタントを経て、人材/組織開発コンサルタント。

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