キリスト教はローマ帝国に迫害されたか(1)

2020.09.25

開発秘話

キリスト教はローマ帝国に迫害されたか(1)

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/キリスト教はローマ帝国の皇帝崇拝と多神教を拒否して迫害された、と答えることになっている。しかし、迫害ばかりされていたら、大帝国を乗っ取るほど教勢が伸びるわけがあるまい。/

J リベラルなイエス本人が生きていたら、彼はイエスとケンカして、ぜったいに弟子になんかならなかったでしょうね。

でも、だからこそエフェソス市ですよ。ここは、ギリシア人より古いリュディア人の町で、地母神アルテミスの巨大神殿があり、その崇拝巡礼者で賑わっていたところです。つまり、ここはオリエントやギリシア文化圏の中では数少ない女性尊重の街でした。それで、母マリアやマグダラのマリアら、イエスゆかりの女性たちも、ここならとりあえず安全だったのでしょう。

でも、使徒パウロは、何度もしつこくエフェソス市を訪れ、神殿の女神信仰を偶像崇拝として非難して、街から叩き出されています。そして、64年のローマ大火の後には、弟子テモテが送り込まれ、司教としてエフェソス市教会を創ってパウロ派の布教に努めますが、あまりに攻撃的なので、街の人々に恨まれ、80年に石打で殺されました。

J 神殿の街でその女神を貶すだけでもよけいなお世話なのに、イエスを直接に知る女性たちや使徒ヨハネがいるのに、生前のイエスに会ったこともないパウロがイエスを語って教会を建てるなんて、そりゃ、街の人たちも呆れたでしょう。でも、パウロは「女は黙ってろ」ですからねぇ。使徒ヨハネも、その類いとして舐められたんでしょうか。

こんなことがあったからか、イエスを直接に知る使徒ヨハネは、パウロのイエス解釈以上のイエス理解の確立を急ぎます。もとよりこのあたりは、オルフェウス教の生まれたところでもあり、ヘレニズムの哲学もよく知られていました。それで、その福音、イエス伝では、パウロの信仰強迫的な原罪論に対して、他で知られていなかったようなイエス自身が実際に「罪」について述べた言葉を多く集め、神の子イエスが愛によって世の「罪」を贖ったとし、また、その後の聖霊の助けと自身の再来を告げます。

J あなた方が見えると言い張るところに、あなた方の罪がある、って、パウロ派に対する当てこすりっぽいですよね。

おりしも、81年、重病の兄に代わって弟のドミティアヌス帝(位81~96)が即位。潔癖な性格で当初は善政を布くも、例のごとく、建設・娯楽・軍隊は財政を破綻させ、陰謀が皇帝を脅かし、93年になるとついに疑心暗鬼に狂って、周辺の人々を次々と処刑。エピクテートスも、その塾が貴族の集まりとなることを恐れられ、バルカン半島側に追放されてしまいます。まして、ユダヤ人は、みな反乱の危険があるとして追放。当時はキリスト教も同類とされており、ユダヤ人追放の巻き添えで、使徒ヨハネもエーゲ海の離島に流されました。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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