少年ジャンプで描く漫画家はいなかった!創刊時を救った『カセット方式』

2018.07.24

経営・マネジメント

少年ジャンプで描く漫画家はいなかった!創刊時を救った『カセット方式』

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今回のインタビューのお相手は、国民的漫画雑誌「週刊少年ジャンプ」の4代目編集長、後藤広喜さん。 少年ジャンプの創刊時から編集者として携わっていた後藤さんは、1986年〜1993年の黄金期に編集長を務めた。

「少年ジャンプ」の誕生秘話!

タケ小山のインタビューは、「少年ジャンプ」の1968年創刊当時についての質問からスタートした。

「創刊当初、どんな苦労がありましたか?」

後藤さんは、当時の状況を語った。
「一番の難題は、創刊した時、描いてくれる漫画家さんがいなかった。大家と言われる漫画家さんや人気のある漫画家さんは、口説き落とせない。

理由は、大手の出版社が、有名な漫画家さんを抱え込んで離さなかったから。苦肉の策で、まだどこにも発表していない新人漫画家に目を付けた。

新人賞を募集して、メインに新人漫画家を起用した。しかし、まだ海の物とも山の物ともつかない新人を集めても、本当に雑誌が出来るのか疑問が残った。

そこで編み出したのが、『カセット方式』。新人に、ストーリー漫画なら31Pの読み切り形式で描いてもらう。ギャグ漫画なら15P。創刊メンバーの漫画家達が、もし人気が出なくても、もし描けなくて穴を空けたとしても、すぐに穴埋めが出来るよう、新人が描いた漫画を描き溜めをして、原稿をストックしておいた。

カセットを入れ替えるように、漫画の入れ替えが出来るのが、『カセット方式』。新人漫画家は掲載してもらいたいから、連載が決まっていなくても描く。その穴から生まれたのが、なんと、本宮ひろ志さんの『男一匹ガキ大将』!この漫画を掲載した途端、反響を呼び、見事、連載を勝ち取ることになった」


他にも、同じ頃連載が始まったのが当時新人の永井豪さんの『ハレンチ学園』この両作品が創刊時のジャンプを引っ張ったという。

これを聞いたタケは、懐かしみながらも大変驚き、興奮冷めやらぬ面持ちだった。

編集者と漫画家の関係とは?

実は、理学部出身の後藤さんは、漫画のことはほとんどわからないまま、少年ジャンプの編集に任命されたという。
そんな後藤さんに、編集者として駆け出しの頃の話を伺った。

「最初についたのは、野球漫画『父の魂』を描いた貝塚ひろしさん。なかなか原稿を描いてくれない。手伝いで通い詰めて、先生が眠そうになったら起こしていた」と話し、タケと2人で笑い合った後藤さん。

続けて、「その後、『アストロ球団』の中島徳博さんと、『ドーベルマン刑事』の平松伸二さんの担当になった。この2人は甘やかさずに、最初から厳しくやろうと。結果、締め切りはきちんと守ってくれた」と話す。

野球漫画を描いていた中島さんは、なんと、野球を知らなかった!ルールすら知らない。

バッターが打ったら1塁に走るといった基本的なルールも知らないからこそ、超人野球漫画という奇想天外な漫画が出来たという。

そんな新人の育て方について伺った。

「新人さんにとって、マガジンやサンデーは敷居が高い。その点、『少年ジャンプ』は、登竜門的存在。ハングリー精神の塊の新人さんは、最初の読者が編集者となると、相手が新米編集者だろうが、ベテランだろうが、編集者の言う事を信じるしかない。時には、言う通りにして、変な方向に行く場合もあった」と、後藤さんは語った。

驚きあり、笑いありで、終始、和気あいあいと話が弾んだ。

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