第二回「限られたお客様に最高のサービスを」
■40年前の差別化と集中 創業者・藤井豊氏が自らの肉体的ハンディをカバーするために編み出した通信添削は地道に、しかし順調に成果を上げた。実はZ会には藤井氏のほかにもう一人創業者がいた。共同創業者は教育ビジネスとして添削に可能性を見出し事業拡大に走ろうとしたため、藤井氏とは意見が合わなくなり袂を分かつことになる。
「共同創業者は後ほど添削を事業化し、それだけでは飽き足らず、より効率的な教育事業として問題集などの出版事業へと手を広げていきました。ところが藤井は、そんなことにはまったく無頓着だったようです」。
ビジネスとしての規模こそ小さいもののきちんと実績を出し、顧客からは確実に支持される。戦前のZ会はそんな事業を展開していたが、環境が急変する。戦争である。
「昭和19年の東京大空襲で焼け出されてしまい、中伊豆に疎開してきたんですね。もともと藤井には事業欲があったわけではないので、疎開後は半農半読、まさに晴耕雨読を地で行く暮らしぶりだったようです」。
やがて戦争が終わり、日本は復興へと向けて動きだす。国づくりは人づくりから。教育に力が注がれ、東京大学をトップとする難関大学合格に向けて熾烈な競争が繰り広げられるようになった。合格に向けてがんばる子どもたちを応援したい。そんな思いが再び藤井氏の心の中でふくらんでいった。やがて一時の隠居生活で十分にリフレッシュもした藤井氏は、今度は東大合格をめざす子どもたちのための通信添削事業を再開する。














