第一回「教えたい思いが生んだ添削システム」
■ルーツは寺子屋の朱書き 「添削こそは日本の伝統的な学習方法なんですよ」と加藤社長。あまり知られていないが、添削のルーツをたどれば寺子屋での朱書きに遡るという。江戸時代、子どもたちは寺子屋で論語などのお手本を墨で書き写し、間違いには先生が朱で注意書きを入れた。生徒の答案の間違いを直して返却する。なるほど添削指導と寺子屋の指導法は根本的に同じである。
では、なぜZ会(実力増進会)は通信添削事業を始めたのだろうか。Z会創業は1931年(昭和6年)、実はこの年は日本ではエポックメイキングな出来事が起こっていた。「シュンペーターのいう『ニュー・コンビネーション』、つまり合体ですね。日本でこれがいくつか起こったのがこの年です。Z会も新しいものと古いものの合体から通信添削を生み出しました」。
Z会が合体させたものとは、古来から続く朱書きを入れる指導法と、当時普及してきた新しい通信インフラ・郵便である。郵便制度を使えば、子どもたちに問題を送り届けてそれを返却してもらい、朱書きを入れた上でもう一度送り返すことができる。これがZ会が創りだした通信添削システムだ。ニュー・コンビネーションという意味では、ブリヂストンが日本古来の足袋に西洋由来のズック靴のゴム底をはり付けて地下足袋を開発したのもこの年のこと。明治維新から約半世紀を経て、西洋から取り入れた制度やシステムがようやく定着、以前から日本にあるものとの融合で新しいものがどんどん生まれる。そんな時代の流れが背景にあったのだ。
しかし、それでもまだ一つ根本的な疑問が残される。そもそもZ会の創業者は、教育事業を行う上でなぜ添削を選んだのだろうか。確かに朱書きが寺子屋で取り入れられてきた伝統あるシステムであることはわかる。しかし、それなら教室で授業を行い、そこで朱書きをすれば良いではないか。実はZ会が添削を始めた背景には「添削しかできない」事情があったのだ。
■五体不満足ゆえの添削システム

Z会創業者・藤井豊氏は旧制中学で英語の教師を務めていた。ところがあるとき、耳が聞こえなくなってしまう。教師としては致命的なハンディである。当然、教壇に立ち続けることはできなくなった。しかし肉体にダメージは受けても藤井氏の教育への熱い想いは少しも冷めることはなかった。むしろ不本意な形で子どもたちの前を去らなければならなかったことが、「教えたい」気持ちをより駆り立てたのだ。
何かできることはないのか。たとえ耳は聞こえなくとも、子どもたちに教える手段は何かないのか。「考え抜いた末にたどり着いたのが、文字だけでやりとりできる添削だったのです。ちょうど郵便制度が整備されていたことも藤井に味方しました」。














