歴史や価値とともに変化する「お値段」⑨ ── 宝くじ

2018.10.25

ライフ・ソーシャル

歴史や価値とともに変化する「お値段」⑨ ── 宝くじ

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ものやサービスの値段は時代によって変わるものです。「高い」「安い」の基準になっている貨幣の価値も時代によって大きく変わります。 さまざまな分野のものやサービスの「お値段」を比較してみましょう。 今回は、宝くじがテーマ。「宝くじ」のような仕組みはなんと古代ローマからあるようです。それは大ざっぱにいって、大規模事業を行おうとするときに、税金などでは追いつかないので、広く大衆からお金を集めようとする手段として使われてきました。 ここでは、大山真人『宝くじ戦争』(洋泉社新書)などを参考に、主に昭和時代に「宝くじ」が日本社会に普及するようすを振り返ってみましょう。

江戸で大流行の「富くじ」

宝くじの前身は江戸時代、1730(亨保15)年に護国寺で行われた「富(とみ)くじ」が最初だとされています(異説もあり)。
当時、富くじを主催していたのは主に神社や寺で、お堂などの修復の資金調達のために売り出されることが多かったのです。番号が書かれた木札を売り、抽選の当日には同じ番号が書かれた札を大きな木箱に入れ、箱を揺すって札を混ぜ、目隠しをした僧がキリで箱の中の札を突く──といった抽選会が公開で行われたようです。落語「富久」や「宿屋の富」などおめでたい噺(はなし)をご存じの方も多いでしょう。

落語の中では、札の値段が一枚一分、一等賞は千両の賞金となっています。江戸時代の貨幣価値は制度が現在とは大きく異なっているので簡単な比較はできませんが、一分は現在の貨幣価値で7万円程度。千両といったら、3億円以上になるでしょうか。
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こうした夢のある金額から江戸でも富くじが大流行しました。谷中・感応寺、湯島天神、目黒不動尊で行われる興行が有名でしたが、仕事をすっぽかして富くじに夢中になる者が増えたといいます。そこで、寺社以外によるものは禁令が出され、明治元年には政府によって全面的に禁止になります。

軍事費のための債券発行、そして「負札」となった「勝札」

ところで、明治時代以降の近代日本の歴史は、戦争抜きでは語れません。
日清戦争、日露戦争、日中戦争、そして太平洋戦争……といった国をあげての戦争は、莫大なお金がかかります。太平洋戦争の終戦時には、開戦時の15倍もの軍事費が計上されたくらいですから。

日本はこれらの軍事費を捻出するために、大幅な増税をたびたび行いました。それは、酒税、飲食税、物品税、砂糖消費税、通行税、入場税など……。それでも足りずに、基礎控除額を引き下げ、法人税、相続税などの直接税も引き上げられました。
さらに、戦時債権や国債などの公債を発行します(つまりは国が国民から借金することです)。明治30(1897)年に、こうした債権を取り扱う銀行として設立されたのが日本勧業銀行です(現みずほ銀行の前身)。しかし、国としてはもっともっとお金がほしい。そこで考え出されたのが「宝くじ」だったのです。

初めての宝くじ「=勝札」は、昭和20年7月に発売

昭和18(1943)年には、当時日本が占領していたマレー半島で「興南彩券」が発行されました。これは一枚1ドル、一等5万ドルというものでした。売れ行きがよかったため、昭和19(1944)年には「福券」が発売されたのですが、この賞金は一枚10円、10万枚一組につき一等5万円というもので、飛ぶように売れたといいます。

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