「道」としての経営・「ゲーム」としての経営

2007.12.05

経営・マネジメント

「道」としての経営・「ゲーム」としての経営

村山 昇
キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

「強い朝青龍」が帰ってきて、4カ月のドタバタは一気に沈静化。朝青龍は今後、相撲道を目指すのだろうか?それとも相撲ゲームを目指すのか?この一件から展開して、「経営」のあり方を考える

私は、経営の勉強もしましたし、現在も自らのビジネスの経営を行なっている身ですので、
「経営は道なり」という美辞麗句で利益志向を排除するつもりはありません。
ただ、経営者の利益志向が、いつしか拝金主義に陥っている状況を気にかけるものです。

昨今の企業の不祥事の数々、
チキンゲーム化するマネー投機合戦、
陣地取りゲームに堕するM&A、等々、
これらはいずれも、経営が「ゲーム感覚」となり、
「儲けりゃいいんでしょ」「勝てば官軍でしょ」のような思想が蔓延しているところに起こっています。

加えて、経営の内実を問わず、
結果的に儲けた経営者をビジネスヒーローとして簡単にあおるメディアの軽率さも目に付きます。
さらには、投資家・株主の間断なきプレッシャーもあります。
経営者に品格があろうとなかろうと、
ともかくゲームに勝て、株価を上げろ、配当を上げろ、のプレッシャーです。

真に優れた経営者というのは、
経営を「ゲーム」と「道」との間で適度なバランスを保つことができる人
だと思いますが、
現在のビジネス世界においては、
そのバランスが不健全に「ゲーム」に偏っているように感じます。

資本主義経済という一大システムが織り成すゲームは、実に複雑で巧妙です。
だからこそ経営というゲームは面白くてたまらない。
勝てば勝つほどに、富が手に入り、その富は(このシステム下では)また富を生む。
富はさまざまな欲望も満たしてくれる。
逆に言えば、貧はますます貧を呼ぶ。
資本主義下のゲームは、その意味で“暴力的”といえるでしょう。
ゆえに、経営には一方で「道」というものがいる。

アンドレ・コント=スポンヴィル著の『資本主義に徳はあるか』(紀伊国屋書店刊)は、
きょうのこうした点を考えるにあたっては、是非おすすめの1冊です。

ソルボンヌ大学で哲学の教鞭をとる彼は、同著で道徳と経済の関係を省察していますが、
著書タイトルに対する彼自身の答えを紹介しましょう。

「価格を決定するのは道徳ではなく、需要と供給の法則の役割です。
価値を創出するのは、徳ではなく、労働です。
経済を支配するのは、義務ではなく市場です。
・・・・(中略)・・・
『資本主義に徳はあるか?』という私の問いに対する解答は、
“否”ということになります。
資本主義は道徳的ではありません。
ましてやそれは反道徳的ではありません。
資本主義は、―――全面的に、徹底的に、決定的に―――非道徳的なのです」。

すなわち、
資本主義のメカニズムは、それ自体、悪徳のものでも善徳のものでもない。
それは本来、冷たくも熱くもなく、無機質に無関心にはたらく機能システムである。
だから道徳的であるかどうかとは無関係である。
資本主義を道徳的に使うか、反道徳的に使うか、
結局、それは経済を行なう人間の問題であるとの指摘です。

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村山 昇

キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)はじめ「コンセプチュアル思考研修」、管理職研修、キャリア開発研修などのジャンルで企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。

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