世界はうまくいくようにできている:三分でわかる陽明学

画像: 中江藤樹記念館陽明園王陽明像

2016.09.26

ライフ・ソーシャル

世界はうまくいくようにできている:三分でわかる陽明学

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/朱子学は、二程子から理気二元論を採ってくることによって、新法新学の一国斉民思想を退け、士大夫の必要性を説いた。しかし、理気二元論は、二程子の弟の程頤によって、体(無心)の中正、「敬」という話に矮小化されてしまっていた。陽明は、朱子の文献の中に二程子の兄の程顥の万物万民一体の「仁」という壮大な構想を再発見し、それこそが朱子晩年の真説と考えた。/

陽明学成立の遠因


 王陽明(1472~1529)は、明代の最上位の高級官僚。家柄も良く、成績も抜群で、軍隊を率いる将軍としても天才的だった。その執務多忙の間にも学究研鑽を怠らず、朱子学の勉強に努めた。そんな彼が気づいたのは、朱子文献に通説とは違う一面があること。彼は、これを朱子が晩年に到達した最終的な真説として論じた。これが陽明学。つまり、陽明学は、王陽明の学説ではなく、朱子の学説の解釈。朱子学学。


 とはいえ、その後、陽明が着目した朱子文献がかならずしも朱子晩年のものではないことが明らかとなり、主流派から排除され、朱子学とは別の陽明学と見なされるようになる。しかし、朱子晩年のものではないにせよ、朱子文献に主流派の解釈とは相容れない文言があるのは事実だ。この原因は、朱子(1130~1200)より前、旧法党、とくに二程子兄弟の齟齬に遡る。


 最初は、王安石(1021~86)が『周礼』(しゅらい)の一国斉民思想に戻るべく、「新学」として『孟子』の性善説を取り入れ、「新法」として零細な商人や農民を扶け、中間の特権的な士大夫(地主商人官僚)を抑えようとしたことに始まる。これに対し、同時代の旧法洛党の司馬光(1019~86)は、『孟子』を否定し、『礼記』(らいき、礼に関する論文集)の中の『大学』を取り上げ、その序の、天賦の才は等しくはありえない、だから世間に秀でた者が庶民を治め教えるべきだ、との節を引いて、士大夫の必要性を説いた。しかし、『孟子』か、『大学』か、という古典同士の権威の争いでは、すれ違いで議論にならない。そこで、朱子は、『孟子』の言うように万民が等しく性善であるにしても、やはり『大学』の言うように人間には優劣があり、政治と社会を牽引する士大夫が必要である、と理論づけた。


 ここにおいて、朱子が用いたのが、理気二元論だ。理として万民が性善であるとしても、気の乱れで民衆は理を外れている。これらを理に沿わせるべく、修養によって理に適うようになっている士大夫が必要である、という。この部分は、旧法党でも、司馬光ではなく、二程子、すなわち、程顥(ていこう、明道、1032~85)と程頤(ていい、伊川、1033~1107)の兄弟の思想から取ってきている。ただ、兄の程顥は53歳で亡くなり、弟の程頤が74歳まで生きて、その言葉を伝えた。ところが、兄の程顥と弟の程頤では、じつはまったく考え方が違っていたのだ。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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