武士道:その神話と現実(3/3)

画像: photo AC: walrus eggman さん

2016.05.30

ライフ・ソーシャル

武士道:その神話と現実(3/3)

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/高度経済成長とともに、日本のサラリーマンの理想像として、「武士道」を語るビジネス書や自己啓発書が大量に粗製乱造されるところとなった。そのほとんどすべてが、自分の恣意的な思想を、時代劇の通俗イメージに仮託したものか、せいぜい新渡戸稲造『武士道』邦訳ないし極論の山本常朝『葉隠』を敷衍したものであって、史料的にも、文献学的にも、およそ学術考証に耐えるものではない。/

側用人武士道


幼少より武家道徳に親しんできたと自称する新渡戸稲造は、武家とはいえ、じつは盛岡藩側用人の子である。戦後、武士道の典型であるかのように挙げられる『葉隠』を記した山本常朝も、稚児小姓上がりの御書物役。まして、内村鑑三は、江戸詰長屋の下級武士。井上リストにおいても、側用人や、その予備軍である在野学者が多い。彼らは藩主の寵愛で抜擢登用される身の上であって、一般的な意味での正規の世襲の武家ではない。それどころか、衆道男色の私利私欲で藩主をたぶらかし、その威を借りて家老をもしのぐ実権を得、藩内秩序を混乱させる奸臣とみなされることも少なくなかった。(たとえば、盛岡藩側用人の石原汀の増長は、1853年の一揆の原因となった。)


もちろん正規の藩の政務は、正規の役目のシステムによって行われる。側用人は、あくまで藩主の私的秘書であって、政務には関与しえない。ところが、平時となって武将合議が廃れ、その一方で、幕府公認の絶対藩主による公私混同体制が拡大。江戸と国元に分かれた参勤交代制度において、側用人が藩主に代わって藩主の意向を伝達するということも多く、また、藩主に重臣が意見しようにも側用人が恣意的に面会通信を取捨選択してしまい、まさしく君側の奸となりうる立場でもあった。


もちろん、側用人は、藩主の私的な相談相手として、高い倫理性に基づいて、他の重臣たちができないような諫言を直接にすることもあっただろう。しかしながら、一代で抜擢されただけの側用人の意見など、おうおうにまた、藩内の歴史的で複雑な事情を知らぬヨソモノの杓子定規な理屈であり、周囲からすればはなはだ迷惑千万な話でもあったことだろう。(実際、石原汀がそうだった。)


側用人ないし側用人としての立身出世を願う在野学者や下級武士は、抜擢登用してくれる藩主の寵愛を得るために、藩主への忠誠を必要以上に強調する傾向にあるのではないか。このことは、天皇より神を重んじるキリスト教を批判していた井上の方向性とも合致し、また、井上の武士道論を天皇制強化に利用しようとした国家主義的な『武士道全書』の再編集の方針にとっても好都合だった。


しかしながら、実際の世襲武家にとって、なによりも優先すべきは自家の存続であり、主君への忠誠もそのための方便にすぎない。藩主のために死ぬのも、自家が存続すればこそであって、男色がらみで藩主の後追い心中を望む、もとより「家」の無い側用人とは事情が異なる。世襲武家は、藩が滅び、主家が潰れても、他で奉公できるのであれば、なにも追い腹を切る理由が無い。そもそも武士は、武家であって、女性たちや子供たち、使用人たちまでを含む一族郎党を単位として、藩から役目を預かっている。個人的な一時の感情で右往左往すれば、浅野内匠頭のように、大所帯の「家」が維持できなくなる。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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