武士道:その神話と現実(2/3)

画像: photo AC: walrus eggman さん

2016.05.30

ライフ・ソーシャル

武士道:その神話と現実(2/3)

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/高度経済成長とともに、日本のサラリーマンの理想像として、「武士道」を語るビジネス書や自己啓発書が大量に粗製乱造されるところとなった。そのほとんどすべてが、自分の恣意的な思想を、時代劇の通俗イメージに仮託したものか、せいぜい新渡戸稲造『武士道』邦訳ないし極論の山本常朝『葉隠』を敷衍したものであって、史料的にも、文献学的にも、およそ学術考証に耐えるものではない。/

『武士道叢書』と『武士道全書』


ところが、太平洋戦争中の1943年、改めて『武士道全書』全10巻+別巻が編纂される。前叢書同様に井上(87歳)の名を冠しているが、これはおそらく『武士道叢書』の文献の多くを再録するためであって、実際の編纂の中心にあったのは、国学院大学教授の佐伯有義(1867-1945、元宮内省掌典職、76歳)。井野辺茂雄(1877-1954、元東京帝大史料編纂官、66歳)と植木直一郎(1878-1959、元陸軍参謀本部東京振武学校教授、65歳)の両国学院大学教授がこれに名を連ねている。


この再編纂は、単純な増補ではない。会沢正志斎などは、『叢書』にあったが、『全集』からは削られた。その一方、武将家訓の類が大量に追加され、通俗的な宮本武蔵『五輪書』や山本常朝『葉隠』も入れられた。また、松宮観山、室鳩巣、吉田松陰は、文献が入れ替えられた。とくに注目すべきは、全集が新たに林羅山を挙げたことである。というのも、井上は、『武士道』において、山鹿素行は林羅山に学を始めたが、その後、朱子学を「すっかり斥け」、「丸で反対の学問」の古学(伝承権威に依らず文献読解から実証する)に基づいた(p.16)、としているからである。井上がその名のとおりに編纂にかかわっていたならば、伝承権威の輸入を旨とする朱子学の林羅山を、日本民族の精神たる武士道の典拠とすることはありえなかっただろう。


『叢書』にあって『全集』でも追認再録されたものは、上記38篇である。この「井上リスト」こそが、戦前の武士道の公式の「聖典」である、ということができる。『全集』は、武士兵術にかかわる文献をなんでも乱雑に取り込む傾向にあるが、重要なのは、井上が「武士道」をあくまで日本固有の民族精神、もともと統一性を持っている生活道徳、として捉えようとし、その表現としての文献に絞り込んでいたことだろう。


それゆえ、井上の取り上げた文献は、年代的に大きく三つに分けることができる。第一の斯波や一条は、室町の戦乱の最中にあって、統治者の普遍的な心得を記したもので、武士道の祖型を示している。その一方、戦国の荒れた気風を受け継ぐ将士の極論、『葉隠』のようなものは、意図的に排している。


中核となるのは、第二の中江藤樹、山鹿素行、熊沢蕃山らの倫理道徳である。朱子学の教条にとらわれることなく日本的な善政善行を論じたもので、身分を超えて多くの弟子たちが参集したことからもわかるように、これらは、彼ら個人の独創的な思想というより、市井の人々の心底にあったものを整理したからこそ時代の支持を得たというべきだろう。おりしも、慶安の変(由比小雪の乱、1651)、赤穂事件(1701-02)などが起こり、武士の「義」が広く論じられるところとなり、これらの事件の渦中に近いところにありながら、あえて正義の均衡を保った彼らの公正な考え方は、その後、武断から文治へと、幕府の施政方針の変更さえも導き、武士はもちろん一般庶民まで理解を得ていくことになる。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

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