女王陛下の大砲が徳川幕府を開いた

画像: ハウステンボスのリーフデ号レプリカ

2015.12.28

開発秘話

女王陛下の大砲が徳川幕府を開いた

純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 哲学教授

/国を失ったポルトガル人と伴天連は、福音とは名ばかりのガラクタ大砲を土産にして、キリシタン大名をたらし込み、その消耗品の火薬を欲しがらせ、傭兵と性奴隷を日本から大量に掠っていった。だが、その嘘は、薔薇十字友愛団員の漂着によって破られた。/


 この話を聞いた家康は、ただちに漂着者アダムズを江戸に招き、二五〇石の旗本に取り立てる。しかし、このころ、石田三成は会津国上杉家と図って家康の排除を画策。上洛しない上杉家に対し、家康は7月、秀頼の命として上杉征伐に出向く。この機に乗じて、8月、後から三成が挙兵。そして、10月の関ヶ原の合戦。ここにおいて三成は、フランキ砲5門を笹尾山陣地から撃っているが、威嚇以上の効果は無かった。


 重い大砲を山に担ぎ上げ、広い野原の空に向け、当ても無くぶっ放す、などというのは、その運用方法として大きく間違っている。家康はアダムズに大砲を載せる軍艦を作らせるとともに、イングランド本国から東インド会社を平戸に呼び寄せ、直接に最新物資の調達を図る。同時に、伴天連の術策に騙されて人を売り、国をも売る愚かなキリシタン大名を潰していき、14年11月には伴天連も完全国外追放。そして、同年末の大坂の陣までに、イングランド製の小型長射程セイカー砲1門と鋼鉄製カルヴァリン砲4門、オランダ製の中射程デミカノン砲12門、その他、堺や国友の鉄砲職人たちに作らせた改良新型の強靱な国産鍛鉄大砲、総計百門を揃えた。これらは、大坂方が保有していた時代遅れのフランキ砲をはるかにしのぐ飛距離と命中率を誇っていた。


(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。著書に『悪魔は涙を流さない:カトリックマフィアvsフリーメイソン 洗礼者聖ヨハネの知恵とナポレオンの財宝を組み込んだパーマネントトラヴェラーファンド「英雄」運用報告書』などがある。)

Ads by Google

この記事が気に入ったらいいね!しよう
INSIGHT NOW!の最新記事をお届けします

純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。

フォロー フォローして純丘曜彰 教授博士の新着記事を受け取る

一歩先を行く最新ビジネス記事を受け取る

ログイン

この機能をご利用いただくにはログインが必要です。

ご登録いただいたメールアドレス、パスワードを入力してログインしてください。

パスワードをお忘れの方

フェイスブックのアカウントでもログインできます。

INSIGHT NOW!のご利用規約プライバシーポリシーーが適用されます。
INSIGHT NOW!が無断でタイムラインに投稿することはありません。