/千年も前の中国の話? そんなの関係ない、と言うなかれ。じつは現代日本の政府や大企業、そして社会の問題状況ととても似ている。建前の平等と現実の格差。建前だけを押し通そうとしても、現実はいよいよ動かなくなる。かといって、本音をさらせば、世に叩かれる。いったいどうやって折り合いをつければいいのか。/
しかし、『孟子』か、『大学』か、という古典同士の権威の争いでは、すれ違いで議論にならない。そこで、朱子は、『孟子』の言うように万民が等しく性善であるにしても、やはり『大学』の言うように人間には優劣があり、政治と社会を牽引するエリートの士大夫が必要である、と理論づけることが目標となった。
理気二元論
一言で言えば、理屈と現実の違いだ。形而上と形而下、この二つの世界の違いを、朱子は古い陰陽五行説で説明した。すなわち、天、太虚(物質のない世界)なら、『易経』に説かれている陰陽の道理どおりになる。ところが、現実では、この道理を物質が担わなければならない。しかし、物質には木火土金水という五気の性質が乱れ混じっている。このために、現実は道理どおりにはならない。
現実の物質は、木火土金水、五気の複雑な組み合わせでてきている。そこには、木生火、火生土、土生金、金生水、水生木と循環生成関係がある一方、木剋土、火剋金、土剋水、金剋木、水剋火の静止妨害関係があり、これらによって、陽の動と陰の静とが起こるが、これらの五気から生じる動や静は、かならずしも天の陰陽の波に沿うとはかぎらず、そこで事を荒立てることになってしまう。
言ってみれば、理気二元論は、物理学(エネルギー論)と物性論(化学)の違い。もともと陰陽の二気は静動のエネルギーの話で、木火土金水の五行は物質の相性の話。計算上、図面上はうまくいくはずでも、実際の部品が熱で膨張すると、うまく動かない。キャリアや能力からすればA部長の補佐にB課長が適任だとしても、前にA部長とB課長が同じ女を争って大ケンカしたというような因縁があると、うまくいかない。
しかし、現実以前に理論からして、陰陽論と五行論は、つながりが悪い。陰陽は孔子が信奉した『易経』の話だが、五行はむしろ道教の話。「理」の方が陰陽の二気で、「気」の方が木火土金水の五行なのも、うさんくさい。陽が濃縮して木や火が、陰が濃縮して水や金ができたが、老陽から老陰への反転の混乱で土になるので、木火土金水で循環する、とか、木火金水の変わり目ごとに中立的な土になる、とか、気の陰陽に現世の土が混ざることで木火金水になる、とか、かなりあいまい。おまけに、木火土金水のそれぞにも陰陽があって十干(じっかん)をなしており、陰陽から五行ができたとすると、火の陰(丁)、水の陽(壬)って、どういうこと? となってしまう。エネルギーから物質ができる、なんていうのは、現代の科学でも面倒なところ。
哲学
2018.06.03
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2018.09.25
2018.10.02
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2018.11.06
2019.01.08
2019.01.15
大阪芸術大学 哲学教授
美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。